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第54回『猫のギャラリー』 名画の中の猫 〜西洋画・洋画編〜

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鳥や小動物を主役にした日本の「花鳥画」のようなジャンルがない西洋画では、
19世紀中頃までは猫の登場する名画はあまりありませんが、
やはりジャポニスムが席巻した19世紀の後半からは猫の登場する名画も目に付くようになります。

例えば印象派の中ではルノアールが何点か残しています。

《猫を抱く女性》は肖像画として描かれた作品ですが、猫の存在感は結構際立っています。(写真1)

写真1 ルノアール《猫を抱く女性》

ルノアールの陶器のような画肌の画面に、
キジトラ模様の猫という組み合わせが、意外性を生むからでしょうか。
猫は緊張している感じですから、抱いている女性は飼い主ではないかもしれませんね。

世紀末にはアール・ヌーヴォーのポスターがパリの街角を彩りますが、
スタンランは猫や犬のポスターで人気を博しました。
ミルクを飲む少女に強くおねだりする猫たちを描いた
《ヴァンジャンヌの殺菌牛乳》は、微笑ましい一枚です。(写真2)

写真2 スタンラン《ヴァンジャンヌの殺菌牛乳》1894年

スタンランの描いた《猫と子猫》という絵では、
よりスタンランの観察力と描写力が伝わってきます。(写真3)

写真3 スタンラン《猫と子猫》1903年

2匹の猫の色やポーズの対照性、両者の間の何とも言えない緊張感が、
この絵を印象的な一枚にしています。

スタンラン同様、アール・ヌーヴォーのポスターも手掛けているボナールの猫の絵は、
やはりデザイン感覚に優れています。

《白い猫》は思い切り伸びをする猫の姿態を描いていますが、
極限までデフォルメしたフォルムが、ビジュアル・ショッキングのように目を捉えます。(写真4)

写真4 ボナール《白い猫》1894年

次の《猫と女性》では、空腹が我慢しきれなくなったのか、
猫が遂に一線を越え、テーブルの上に身を乗り出している場面が描かれています。
我が家の白猫ムクも同じことをよくするので、苦笑してしまう一枚です。(写真5)

写真5ボナール《猫と女性》1912年

この絵では画面を分かつ赤、緑、白の色の配置が絶妙です。

20世紀になると、サル・マイヤーという素朴派の画家が猫の絵をたくさん描いています。

どれも日常的な猫の様子を描いているだけですが、
何とも言えない独特の雰囲気を持った絵で、私もそれに魅了されました。
おそらく実直で丹念な描写がその雰囲気を生むのでしょう。

《ベッドの上で座る猫》もそんな一枚で、
赤いベッドの上で猫がかしこまっている場面を描いています。(写真6)

写真6 サル・マイヤー 《ベッドの上の猫》

全体のシルエットからどの部位もはみ出さないこの姿勢は猫お得意のポーズで、
我が家のムクもよくします。

人間から見ると「猫は美しい」と思わせるポーズのひとつです。

この作家の他の絵も見たい方は「SAL MEIJER」で検索してみてください。

次の2点は絵を見ただけでは作者は分からないと思います。

技法は木版画で、白黒表現です。題名は《白猫Ⅰ》(写真7)、《白猫Ⅱ》(写真8)です。

写真7 エッシャー《白猫Ⅰ》

紹介する理由はとても有名な作家の初期作品なので、一般的にはほとんど知られていないからです。

もう一つの理由は我が家のムクがモデルかと思えるくらい容姿もポーズもよく似ているからです。

そんな作品を私も大好きなあのエッシャーが若き日に描いていたのです!

写真8 エッシャー《白猫Ⅱ》

白猫つながりで、エッシャーとの距離が縮まった感じです。

西洋画の最後に紹介するのは、大物バルテュスです。

バルテュスの猫好きも有名ですが、実際たくさんの絵に猫を登場させています。

まずは自画像と組み合わせた《猫たちの王》から見て行きましょう。(写真9)

写真9 バルテュス《猫たちの王』1935年

異様に足長の画家の足元でスリスリしている大きな猫は、王に仕える僕(しもべ)のようです。
画家も猫もどこかぎごちなく不自然な感じがしますが、それがバルテュスの持ち味なのです。

次の2点は少女と猫の組み合わせですが、少女の挑発的なポーズが印象的な作品です。

《猫と少女》のモデルは、顔をこちらに向けているので、より挑発的です。(写真10)

写真10 バルテュス 《猫といるテレーザ》1937年

これに対し《夢見るテレーズ》の方は、
モデルが目を閉じているので、より無防備な感じがします。(写真11)

写真11 バルテュス《夢見るテレーザ》1938年

猫はそれぞれ片足を伸ばしてくつろいでいたり、ミルクを飲んだりしていて、
少女には無関心の様子です。

これらの絵を見るたびに私は、
上野の『バルテュス展』に展示された《夢見るテレーズ》の前で、
二人の老婦人が「こんなポーズをさせて」と口に出して非難していたことを思い出すのです。
実はもっと過激な絵がバルテュスにはあるんですけどね(笑)。

《猫と裸婦》がそういう類の作品かどうかは、皆さんの判断に任せるとして、
女性が全裸である点は過激ですが、股を隠している点では品があるとも言えます。(写真12)

写真12 バルテュス《猫と裸婦》1949年

また、この絵の中の猫はモデルと妙に親密な雰囲気です。

後半は洋画の中の『猫の名画』を紹介しましょう。

「洋画」とは明治の開国後、
日本の伝統的な絵画表現に「日本画」という呼称を与えたのに対し、
当時急速に日本に入って来た西洋画の影響を受けた絵画表現を区別するために生まれた呼称です。

言わば「西洋画」の略ですが、
主な技法との関係で「油絵」や「油彩画」の意味を含む場合が多いのです。
ちなみに私も新聞や雑誌などでは、洋画家・泉谷淑夫と紹介されます。

さてそんな洋画家が明治以降は日本にもたくさん生まれたのですが、
海外でも知名度が高く、「猫好き」でも知られている画家と言えば
レオナール・フジタを置いていないでしょう。

フジタの本名は藤田嗣治ですが、
ここではフランスに帰化した当人の意思を尊重してフジタで行きましょう。
先ほどバルテュスの《猫たちの王》という絵を紹介しましたが、
猫と飼い主との関係に違和感を覚えた人もいたのではないでしょうか。

実は私もその一人で、フジタの《自画像》を見ると、
猫と飼い主との関係はこちらでしょうと、妙に納得するのです。(写真13)

写真13 フジタ《自画像》1926年

つまり「猫の王は飼い主」ではなく、「飼い主の王が猫」なのです。
私の場合は猫を「王」ではなく「神」と呼んでいますが、
その理由は何をしても許される存在が「神」だからです。
そして猫を飼っていると気付くのです。

私は猫に仕える僕(しもべ)なのだと。

ですから社会の中で威張りたい人には猫は向かない気がします。
フジタの《自画像》でも肩の上に乗った猫は、
明らかにフジタを支配し、支配されているフジタも満足そうです。

これが猫と飼い主の正しい関係だと私は思いますが、皆さんはどうでしょうか?

しかしフジタは穏やかに見える猫たちの中に隠された野性的な一面も見逃しません。

たとえば《群描》ではたくさんの猫が寄り集まっていますが、
どこか緊張感が漂っていて、平穏な感じとは異なっています。
猫の大きさや配置から、支配や従属の関係さえ見てとれます。(写真14)

写真14《群描》1963年

それは《猫(争闘)》という絵を見ることで、再確認できます。

この絵ではたくさんの猫が争そっていますが、
制作年が1940年ということを考えると、
1939年の第二次世界大戦勃発や1941年の太平洋戦争開戦という
時代背景との関係を想像してしまいます。(写真15)

写真15《猫(争闘)》1940年

フジタは当時の世界情勢を、猫を使って表したのかもしれません。

とは言え同時期に《猫のいる静物》のような楽しい絵も描いていますから、
私の穿ちすぎかもしれませんが。

《猫のいる静物》では、獲物を狙う猫の本能的なものがユーモラスに描かれています。(写真16)

写真16《猫のいる背う物》1939~40年

洋画の世界で静物画と花鳥画を自在に組み合わせられるフジタの柔軟さを改めて感じます。
この柔軟さこそが、フジタが世界の舞台で成功できた理由かもしれません。

フジタの5点目は、そんなフジタの茶目っ気がよく出た一枚です。

《キャット・デザイナー》と題されたその絵は、卓上の静物を窺う猫を描いていますが、
卓上にあるのは裁縫道具です。(写真17)

写真17 フジタ《キャット・デザイナー》1927年

フジタは器用な人で、服なども自分で仕立てられたそうですから、これはフジタの作業道具です。
ということはそれを見つめる猫はフジタ自身に他なりません。
1927年というフジタに最初に訪れた絶頂期に猫に見立てた自画像を描いてしまうあたりに、
フジタの真骨頂が現れています。

洋画家の二人目は長谷川潾二郎です。

長谷川の名はフジタに比べればマイナーですが、
日本の素朴派画家として一部に根強いファンを持っています。
その長谷川が描いた猫の絵はかつて『美の巨人たち』でも紹介されたことがありますから、
偶然見ている人がいるかもしれません。

《猫》は穏やかに眠る猫を写生して描いたものですが、
片方の髭がなく、サインもないので、未完成のようです。(写真18)

写真18 長谷川潾二郎《猫》1966年

洒落た仕掛けがあるわけでもなく、模様もどこにでもいるキジトラで、
ただ丹念に愛猫を描いただけの作品ですが、
この寝姿は一度見た人を忘れ難くする魅力を持っているようです。

おそらく絵に長谷川の人柄が反映しているのでしょう。

そんな長谷川のもう一枚の猫の絵を紹介して、『名画の中の猫』を閉じたいと思います。

《猫と毛糸》は1930年の作ですから、1966年作の《猫》よりもだいぶ若い時の作です。(写真19)

写真19 長谷川潾二郎《猫と毛糸》1930年

こちらは子猫がモデルで、座布団や毛糸が描かれているので、情景が具体的です。
また猫も寝ていないので、動きが感じられます。
《猫》とは別の魅力を持った絵だと思います。

寝ていても良し、起きていても良しが猫なのです。
そんな猫は体が大きくなっても赤ちゃんほどですから、
老いても子どものように可愛がってもらえるのでしょう。

次に生まれ変わるなら猫がいいですね。

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