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第60回「年賀状デザインのギャラリー 〜半世紀の軌跡と思い出〜 その4・丑年」

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4月になりました。新年度のスタートです。

あっという間に1年の4分の1が終わりましたが、まだ4分の3は残っているので、
新年の誓いが崩れかけている人も、立て直す機会は十分にあります。

しかし焦るのは禁物!
遅れを取り戻したい時こそ、まずは足元を固めるために、
ゆっくりじっくり牛のように歩みたいもの。

というわけで今回は丑年の年賀状デザインの秀作を皆さんにお届けします。
牛の一般的なイメージとしては、
「体が大きく、角ばっている」「角がある」「鼻輪をしている」「ぶちの模様がある」
「のんびり草を食んでいる」「乳しぼり」「牛乳」といったところでしょうか。
牛は外見的にも行動的にも特色がはっきりしているので、
デザインしやすい方の動物ではないでしょうか。

最初は1985年の丑年です。

この年は横浜国大附属横浜中学校に私が赴任した年です。

平塚市立大住中学校で8年間の勤務実績と2年間の大学院研修を終えての赴任でしたから、
タイミング的には良かったと思います。
ただそれまでの片道20分の自家用車通勤から、片道2時間15分の電車通勤に変わったことで、
肉体的にはかなりきつくなりました。
しかし週1日研修日が取れたので、そこで睡眠不足を解消したり、
絵の制作をしたりできたのが幸いでした。
附属横浜中の自主自立の校風も私には合っていたようで、
在職の9年間でたくさんの勉強をさせてもらいました。
また同中学の生徒たちとも親しくなり、
在校生や卒業生が横浜髙島屋の個展に大勢来てくれるようになったのも、ありがたい収穫でした。

さてその年の私の年賀状はというと、かなり力が入っています。(写真1)

写真1 1985

画面全体を牛の群れが「ギュウギュウ詰め」に埋め尽くしています。
私たちは近寄るのも「モー大変」な状況です。
右下の1985年のデザインも牛をかたどっています。

この年に来た秀作の1枚目は、大住中在校生のI君のものです。(写真2)

写真2 1985 大住中在校生I君

黒い牛をトリミングして画面に収めていますが、
大きな角をかざして頭を下げ、前足で足元を掻いていますから、これから突進するのでしょう。
木版画の摺りのかすれがいい味を出しています。
I君は授業で教えただけですが、私になついてくれた生徒の一人でした。

2枚目は大住中学校で最後の2年間一緒に美術科を担当したT先生のものです。(写真3)

写真3 1985 大住中美術科教員T先生

T先生は大らかでのんびりした性格の若手女性教員でした。
そんなT先生の年賀状デザインは、
牛がゆったりと歩く様を捉えていて、静かな動きが感じられる佳品です。
紫色の彩色が生きていますが、意外性のある色彩センスが彼女の持ち味でした。

3枚目はこのブログに何度も登場している大住中学校卒業生のAさんのものです。(写真4)

写真4 1985 大住中卒業生Aさん

今回は牛が牛乳を飲んでいるというギャグ的ユーモアがいかんなく発揮された作品で、
牛を大きく入れた構図やクリアーなマンガ的描写がいたって私好みのものです。
卒業しても毎年凝った年賀状を送ってくれるのは、教え子としての最高の恩返しではないでしょうか。
画面上部に小さく書かれた
「年賀状を楽しみにお待ちしております。」というメッセージも嬉しいですね。

4枚目は横浜国大の後輩のNさんのものです。(写真5)

写真5 1985 横浜国大後輩N先生

Nさんとは私が大学院研修に行っていた時に知り合いました。
明るく機転の利く女性で、話していてとても楽しい人でした。
年賀状にも人柄がよく出ていると思います。
おそらく自画像だと思いますが、牛のぶち模様の着ぐるみを着て、ウィンクしている様が可愛いですね。

1997年は横浜髙島屋で初の個展を開いた年で、とても視界が開けてきた感じがしました。
岡山大学に来て4年目のことです。
また、この年日本文教出版から鑑賞用ビデオ『作家シリーズ・創造の原点』全10巻が発刊されました。
このビデオは埼玉大学の小澤先生と共著で出したもので、
私の比較鑑賞のアイディアが取り入れられ、
画像はNHKの『日曜美術館』で放映されたものを再編集しています。
鑑賞教育の方でも全国展開が始まった年でした。

ただ前年に父が88歳で他界した関係で喪中になったため、この年の私の年賀状デザインはありません。
でも皆様からの年賀状はいただきたいので、後で寒中見舞いを出すというスタイルにしました。

そんな中、届いた年賀状の1枚目は、横浜国大の同期生で、
学部の1年時には私の石膏デッサンの「先生」でもあったI君のものです。(写真6)

写真6 1997 横浜国大同期生I君

技法は特定できませんが、墨流しでできた模様を加工したようにも見えます。
そうしてできた牛の顔の表情が、こちらに何かを語りかけているようで、印象深い一枚となっています。

2枚目は岡山大学の先輩教員のO先生のものです。(写真7)

写真7 1997 岡山大学先輩教員O先生

O先生は陶芸家として活躍されていましたが、実直で面倒見がよく、学生からも慕われていました。
実は私の総社の住まいを見つけてくれたのもO先生なのです。
年賀状デザインにも大らかな人柄が出ている感じです。
牛を画面いっぱいに収めた力強い構図で、牛も文字も生き生きとしています。

3枚目は横浜国大附属中卒業生のKさんのものです。(写真8)

写真8 1997 横浜国大附属中卒業生Kさん

文面の年賀状のアイディアに関する下りは、
牛の背中のぶち模様が年号とダブルイメージになっていることを指しているのでしょう。
市販の年賀状をうまく加工しているところがKさんの真骨頂でしょう。

4枚目は以前にも紹介した美術科先輩教員のH先生のものです。(写真9)

写真9 1997 美術科先輩教員H先生

前回は逆さにするともう一つのイメージが見えるダブルイメージでしたが、
今回はそのままで二つのイメージを表しています。
一見向かい合う二羽の鳥に見えますが、何と牛の頭部を正面から見た像にもなっているのです。
私としては「やられた!」という感じです。
このような発想は普段から対象をよく見ていて、特徴を掴んでいるからこそ出るのです。

5枚目は岡山大学卒業生のNさんのものです。(写真10)

写真10 1997 岡山大学卒業生Nさん

Nさんは当時としては珍しく漫画表現に関する論文で大学院を出た人で、目の付け所が独特です。
彼女の賀状デザインですが、皆さんは何故蛙が登場となったのかお分かりでしょうか?
答えはウシガエルです。
貫禄のあるウシガエルを画面下に配して、上に小さく文字を入れたセンスを買いたいと思います。

2009年は前年度に岡山大学で入試委員長という責任の重い役職を何とかやり遂げたので、
正直しばらくは楽なポジションを期待していたのですが、
蓋を開けたら教育学部の副学部長の座が待っていたのです。
と言ってもあくまで「副」ですからトップのサポート役ですが、
執行部に入ること自体が野党的体質の私には場違いなのです。
しかし50代半ばになっていた私は組織のことも考え、結局引き受けました。
その結果、それからの2年間は私らしくない妙な期間でした。

それはさておき、この年の年賀状は気合が入っています。(写真11)

写真11 2009

鼻息の荒い猛牛を正面から捉え、画面一杯に描いています。
猛牛の額には?マークが浮かんでいて、何やら苛立っている様子です。
そしていつもいる私たち二人が見当たりません。

皆さんはもう気付かれましたよね。
ちゃんと目立つところに居ますよ!

この年に来た年賀状の1枚目は、私の絵のコレクターでもあるYさんのものです。(写真12)

写真12 2009 絵のコレクターYさん

Yさんはかつて5回ほど個展を開いた平塚画廊の顧客で、
私の絵を気に入ってくれてF130号の大作や変形50号の作品なども所蔵されています。
事業で成功している方なので、年賀状デザインにも勢いがあります。
鋭角の直線的な輪郭線で跳躍する牛と昇る太陽を表しています。
文字も含め、力強い生命感が伝わって来て、元気の出るデザインです。

2枚目は岡山大学の卒業生のMさんのものです。(写真13)

写真13 2009 岡山大学卒業生Mさん

Mさんは岡山県の若手育成事業I氏賞で奨励賞を受賞し、
山を描いた超大作が岡山県立美術館にも収蔵されている作家です。
彼女の年賀状は草原でくつろぐ牛の後ろ姿を表しています。
牛のぶち模様が世界地図のように見えますが、果たして意図したものでしょうか。
全体にポップなイメージで、のんびり感がよく出ています。

3枚目は常連さんの中学校美術科教員のHさんのものです。(写真14)

写真14 2009 中学校美術科教員H先生

こちらはいつもながらの精緻なタッチで立った牛の後ろ姿を描いていますが、
何とこちらもぶち模様が世界地図になっています!
牛の背中に小さく何かが描かれていますが、判然としません。
それにしても見事な構図と描写ですね。

4枚目はやはり常連の岡山大学の先輩教員N先生のものです。(写真15)

写真14 2009 中学校美術科教員H先生

いつもながらのクリアーなシルクスクリーン技法で、梅の小枝をくわえた仔牛を表しています。単純化された表現にもかかわらず、仔牛の生命感が伝わってくる佳品です。
自分のスタイルを持っている人は、やはり強いですね。

5枚目は2度目の登場となる国立大学教員のA先生のものです。(写真16)

写真16 2009 先輩大学教員A先生

A先生の賀状も毎回凝っていて、名画のパロディなども得意です。
今回は古代建築の広場に巨大な牛の像が出現しています。
この特徴的な舞台はローマのバチカン宮殿にあるラファエロの大壁画《アテネの学堂》からの引用です。
牛の像は背中に把手が付いていることから、
古代メソポタミアの鉛製牡牛像形分銅であることが分かります。
この二つの組み合わせで見事に不思議な空間を演出しているわけです。

2021年の丑年はコロナ禍真っ只中の辛い1年でした。
大学の授業もほとんどがオンラインになり、私もズームを使った授業をたくさんやりましたが、
これが意外にも学生には好評で、授業そのものは楽しくやれました。

絵の方で言えば笠岡市の法華寺から依頼された天井画の制作が2年目に入り、
エスキースを経て本画の大作に移行していた時期で、完成に向けて気合が入っていました。
また秋には変形額とミニアチュールがメインの個展を、岡アートギャラリーで開きました。

さてこの年の私の年賀状ですが、やはりコロナネタで行きました。(写真17)

写真17 2021

牛を横向きの姿で画面に大きく入れ、ぶち模様の中に私たち二人を忍び込ませました。
二人ともコロナ予防のマスクをしているので、顔が上手く隠せたと思います。
牛もミルクを飲みながら、コロナ対策をアピールしています。

この年に来た年賀状を紹介します。
1枚目は岡山県で活躍する彫刻家のKさんのものです。(写真18)

写真18 2021 岡山の彫刻家Kさん

Kさんは名前が私と同じで、制作のテーマも現代的な社会性があって私と共通するので、
知り合う前から親しみを持っていました。
近年Kさんの作品をまとめて鑑賞する機会に何度か触れているうちに、
その実力が本物であることを実感し、親しみは尊敬に変わりました。
Kさんはデッサンも巧みで、年賀状でもその力が発揮されています。
人参をくわえた牛がこちらに迫ってきます。
その生き生きした印象を生み出しているのは、勢いよく重ねられたペンのタッチです。

2枚目は一陽会のリーダーであるH先生のものです。(写真19)

写真19 2021 一陽会先輩作家H先生

H先生は責任感の強い元気一杯の方で、私が一陽会に参加した頃から会の中心にいました。
年賀状は赤べこと童を組み合わせたもので、黄色い花に囲まれた童が大きな声で何かを叫んでいます。
おそらく私たちに「元気出せよ!」と言っているのかもしれません。

3枚目は同じく一陽会の先輩作家T先生のものです。(写真20)

写真20 2021 一陽会先輩作家T先生

Tさんは会の仕事にも熱心で、展示の準備作業などを通して徐々に親しくなった方です。
年賀状の方は牛の頭部を太い輪郭線と深みのある色彩で画面左側に収め、
「春」という赤い文字でバランスを取っています。
余白を生かしたゆったりした構成が、「春」という季節と牛ののんびりした雰囲気をよく表しています。牛の優しい眼の表情が印象的です。

4枚目は岡山大学卒業生のIさんのものです。(写真21)

写真21 2021 岡山大学卒業生Iさん

Iさんは私のゼミ生ではありませんが、とても慕ってくれて、よく手作りのケーキなどをいただきました。
今は脱サラして、お菓子作りの道を歩んでいます。
年賀状は牛の着ぐるみを着た黒ねこが顔を出した場面を可愛らしく描いています。
文章にもあるように、自分のお菓子工房を『黒ねこ製作所』と命名している関係で、
宣伝を兼ねたデザインになっています。
明るく社交性があって人懐こい性格のIさんですから、
いつかきっとお菓子の世界でブレークすることを期待しています。

5枚目はこの年ならではのコロナネタです。(写真22)

写真22 2021 岡山大学卒業生Sさん

あの頃は1日に何度も手の消毒をした覚えがあります。
作者は岡山大学の卒業生で、私のゼミ生ではありませんでしたが、
卒業後私の絵に興味を持ってくれ、個展の会場などで再会することができました。
彼女の年賀状は、強く主張するような目立つ構図ではありませんが、
今見ると当時がしみじみと思い出される1枚です。
線描で淡々と表し、余白をたっぷりとっているところがそんな効果を生んでいるのでしょう。
「HAPPY 1 PUSH」のメッセージも効いていますね。

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