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第40回「ショーン・タンの世界」

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私が心酔している海外の絵本作家と言えば、
センダック、オールズバーグ、ウィーズナー、インノチェンティ、
アンソニー・ブラウン、コリントン、ブッフホルツあたりですが、
彼らに共通するのは作風が定まっていて、代表作がたくさんあることです。

つまり個性が掴みやすいのです。

ところが先月紹介したショーン・タンは、
『THE ARRIVAL』が日本におけるデビュー作なので、
私も含めて多くの人が、「あれがショーン・タンの作風か」と思いがちですが、
あの作風は彼の一面に過ぎません。

その後次々と日本で刊行された作品を見ると、
『THE ARRIVAL』はあくまで例外で、
タンには実に多様な表現スタイルがあることに気づかされ、驚くばかりです。

それだけ彼は凝り性で技術も卓越しているわけですが、
そんなタンの万華鏡のような絵本世界を、今回はたっぷりとご紹介しましょう。

最初は初期の作である『ロスト・シング』(河出書房新社)です。(写真1)

写真1『ロスト・シング』

物語は、ボトルの王冠集めが趣味の「ぼく」が、
海岸で偶然見かけた「ハウルの動く城」みたいな赤くて巨大な機械的生物と仲良くなり、
やがてそれが「迷子」であることに気づいて、「帰るべき場所」を探しに行くというもの。

荒唐無稽なファンタジーの中に、現代社会の病理のようなものを象徴的に描き出しているようです。

ちなみに「ロスト・シング」とは「失われたもの」の意。
「失われたもの」の意味を考えながら見て行くと、いくつかの場面が印象に残りました。
三つほど挙げてみます。

一つ目はやはりこの「赤くて巨大な機械的生物」です。(写真2)

写真2『ロスト・シング』

機械的なものに生命感を与えたという点で、
シュルレアリストのエルンストの初期作品《セレベスの象》を思い出しました。(写真3)

写真3エルンスト《セレベスの象》

タンは研究熱心なので、もしかしたら参照したかもしれません。

二つ目は最初に尋ねた灰色のビルの場面。(写真4)

写真4『ロスト・シング』

見下ろす角度で孤独感が強調され、荒涼とした斎場を思わせます。

赤い怪物が悲しい声を出すわけです。

三つめはやっと辿り着いた「それらしい場所」の場面。(写真5)

写真5『ロスト・シング』

手前の暗がりから見通した構図で、「ぼく」と赤い怪物にだけ光が当たっています。

手前の機械群の無機質な感じに対して、赤い怪物は生命感が漂っていて、
タンが怪物を赤い色にした意図が分かった気がします。

『ロスト・シング』は作者自身の手でアニメーションにもなり、
アカデミー賞の短編アニメ賞も受賞しています。

私もアニメ版のDVDを購入しましたが、こちらもお薦めです。

二冊目はより「現代の病理」を感じさせる『レッド・ツリー』(今人舎)です。(写真6)

写真6『レッドツリー』

この絵本の翻訳は、英語が堪能な元アイドルの早見優さんです。
テキストは少なめで、ひたすら「最悪」「真っ暗」「冷たい」「苦しみ」「恐ろしい」「わからない」などの否定的な言葉が繰り返されます。

写真7『レッドツリー』

絵も暗く重いので、現実世界で苦しんでいる読者は、ますます落ち込んでしまうかもしれません。
それだけに最後の最後に登場する小さなレッド・ツリーに感激するのではないでしょうか。

タンもその一点に賭けたのでしょう。
レッド・ツリーは希望の象徴です。

ここでもタンは赤に特別な思いを抱いているようです。

私自身は否定的な言葉よりも各場面の重厚な描写に引き込まれました。

写真8『レッドツリー』

それらの絵をよく見てほしいという作者の気持ちが、テキストの切り詰めになった気がします。

ここでは印象的な三場面を紹介します。

いずれも一枚絵としても見られるクオリティと迫力を備えています。(写真7,8,9)

写真9『レッドツリー』

三冊目はタンの絵本デビュー作『ウサギ』(河出書房新社)です。(写真10)

写真10『ウサギ』

この絵本はだいぶ前に洋書で手に入れていましたが、2021年にようやく邦訳版が出ました。

タンの母国オーストラリアは、アメリカと同様に
西洋から来た侵略者に広大な土地を収奪された歴史を持っています。
この絵本に登場するウサギは外来種として象徴的な役割を担わされています。

海からやってきたウサギたちは街を作り、動物を飼育し、文明を進展させます。
一方で原住民たちにはなす術がなく、それを傍観するだけでした。

写真11『ウサギ』

やがて戦いが始まりますが、結果は目に見えていました。
その結果ウサギたちはますます繫栄し、国中がウサギだらけになります。
と同時に豊かだった自然は失われ、荒涼とした大地が残されました。
この絵本は近代文明の進展が必然的にはらむ未開地の侵略、文明化と差別化、自然破壊、環境汚染などの普遍的なテーマを、寓意的に表したものです。

写真12『ウサギ』

タンの祖国愛は強烈な筆致で描かれた様々な絵の至る所に溢れています。

ここでは見開きの三場面を紹介したいと思います。(写真11,12,13)
タンの画力と込められたメッセージをじっくり味わってください。

写真13『ウサギ』

四冊目は近年、大学の授業で取り上げ、学生とともに読み解きを行っている
『夏のルール』(河出書房新社)です。(写真14)

写真14『夏のルール』

主人公である「小さな人」が「大きな人」の期待に反して、ひと夏の間に様々な失敗を繰り返します。

写真15『夏のルール』

最後には喧嘩になり、勝った「大きな人」には王冠が与えられ、負けた「小さな人」は蒸気機関車のような小型の乗り物に幽閉されて、どこかへ運ばれて行きます。

写真16『夏のルール』

その乗り物をカラスの群れが追いかけ、その数は増大します。
そこへ「大きな人」が助けに来て、無事「小さな人」は解放され、二人は仲良く家に帰っていきます。

最後のシーンでは一羽のカラスが地面に落ちている王冠の上で叫んでいます。

このシーンが気になったので、最初からよく見直すと、なんとカラスはどの画面にも登場していていますが、二人が仲直りした時点で消えています。

写真17『夏のルール』

このカラスが何を象徴しているのか、またこの二人もただの兄弟なのか、それとも何かの暗喩なのか、
なんとも気になるところです。

写真18『夏のルール』

この辺りを授業では読み解いていくのですが、私には大きなテーマが隠されている絵本のように思えます。
絵は全編シュール・テイストなので、きっと皆さんの脳裏に焼き付くでしょう。
ここでは私が選んだ4つの場面を紹介しておきます。(写真15,16,17,18)

五冊目はショーン・タンの最新作『セミ』(河出書房新社)で、
2019年の東京での初個展の最中に発行されたものである。(写真19)

写真19『セミ』

灰色の人間社会のビル内で17年間真面目に働くも昇進はなく、
人間の上司や同僚にいじめられ、虐げられ、住むところもなく、定年を迎えたセミ。

写真20『セミ』

定年の日に一人寂しく屋上に上がると、ほどなく背中が割れ、翼を持った赤いもうひとつのセミが姿を現し、大空に羽ばたいていく。

写真21『セミ』
写真22『セミ』
写真23『セミ』

そこには多くの仲間が飛んでいた…というお話です。

セミは森に帰ったようですが、最後にセミは人間のことを思いだして笑います。
それまでセミに同情してきた読者はここで一気に突き放されます。

人間社会の中での不条理な出来事と思いきや、
実は地球環境全体の中での人間の営みの愚かさを揶揄しているのではないかと気づき、ぞっとする瞬間です。

セミには人間にはない、空を自由に飛べる羽があります。
これが一番の違いです。人間社会で虐げられている人にも羽や翼があったらと思わないではいられません。

私たちは人間中心の発想に慣れていますが、視野を広げると、または立場を変えると全く違うものが見えてくるのかもしれません。
ここではセミが最後に脱皮する瞬間を描いた見開き4場面を紹介します。(写真20,21,22,23)

写真24『ショーン・タンの世界』

最後にショーン・タンの日本初個展の展覧会図録
『ショーン・タンの世界』(求龍堂)を紹介しましょう。(写真25)

この図録は書店でも扱っています。

内容は『THE ARRIVAL』や『ロスト・シング』、『夏のルール』などの詳しい解説と
メイキング資料の他、タンの油彩小作品やインタビュー、さらには翻訳者たちの寄稿文などです。

そして寄稿者の一人、金原瑞人氏の文章の冒頭に、
なんと私の名前とショーン・タンに関するメールでの金原さんとのやり取りが出てくるのです!

ある人からそのことを伝えられて私は大変驚くとともに、
早くからタンの絵本世界を大学や雑誌等で紹介してきた私にとって、
その努力が認められたようでとても嬉しかった記憶があります。

タンの展覧会に間接的に参加できたような気がしたものです。

実は金原さんは私の絵画世界のキャッチコピー「美しい驚き」の名付け親でもあります。
そんなご縁から今回も私に気を遣ってくれたのだと思い、感謝、感謝です。

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