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第62回「年賀状デザインのギャラリー~半世紀の軌跡と思い出~ その6・亥年」

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6月になりました。2024年の前半最後の月です。
梅雨との付き合いも始まります。
体調に留意して、お元気にお過ごしください。

今回は亥年ですから、干支の動物は猪です。
猪は元気いっぱいの動物ですが、近年は人里への出没がよくニュースになるなど、
猪も生き延びるのに必死のようです。
それだけ山での食糧確保が困難になっているわけで、
人里に出てこざるを得ない猪たちの気持ちを察すると、切ない気持ちになります。
アニメ『もののけ姫』には、「乙事主」という野生の大きな猪が登場しますが、
その最後はやはり切ないものでした。
力強さと哀愁が同居しているのが猪のイメージでしょうか。
「猪突猛進」という格言にも、猪の持つ危うさが込められています。
花札にも猪は植物の萩と組み合わさって登場し、
「いのしかちょう」という中堅どころの役を担っています。
生後4か月くらいまでは体に瓜のような縞模様があることから、
猪の子どもを表す「うり坊」という言葉もあります。
しかし猪は特徴がある割には、著名なキャラクターが浮かんできません。
そんなわけで私の所に来た年賀状でもモチーフは野生の猪が圧倒的に多いようです。

最初は1983年です。
私にとっては節目の年で、横浜国大の大学院を修了して、運よく大住中学校に復帰できた年です。
夏には郵便貯金ホールの大ギャラリーを使った個展も開きました。
また『教育美術賞』に応募した私の論文『ブラックボックスと美術教育』が、
思いがけなく佳作賞を受賞するという幸運もありました。
言わば私の「二兎追流人生」の始まりの年と言えるかもしれません。

この年の私の年賀状はマンガチックな作品です。(写真1)

写真1 1983年

突進してくる猪を避けて崖にぶら下がっている私たちを描いています。
猪は急ブレーキをかけていますが、おそらく奈落の底でしょう。
しかし私たちも腕が限界に近づいて、かなり危機的な状況です。
猪が絵文字になっているのが分かるでしょうか。

この年に来た年賀状の1枚目は、20代の頃の友人M氏のものです。(写真2)

写真2 20代の頃の友人M]さん

一緒にグループ展活動をしていたM氏は当時個性的な力強い絵を描いていました。
年賀状の木版画にも「らしさ」が感じられます。
これから突進しようとする猪の全身を太い線で力強く表していますが、
素朴な味わいが何とも魅力的です。

2枚目は大学院時代に知り合った学部の後輩のS君のものです。(写真3)

写真3 大学院時代の後輩S君

文字と数字の中に猪の頭部を収めた構図で、文字が林のようにも見えるのが面白いですね。
また猪の表情が妙に色っぽいところも印象的です。

3枚目は大住中学校の卒業生H君のものです。(写真4)

写真4 大住中学校卒業生H君

H君は美術部の部長をやっていた関係で、卒業後はOB会『美術を愛する会』の会長も務めていました。
そんな彼の年賀状は水彩による一品制作です。
前年に大ヒットした映画『E.T』の名場面に自画像を組み合わせたデザインですが、
私が感心したのは繊細な満月の描写です。
月は私もよく描きますから、その難しさはよく分かっています。
この年賀状、文面からもかなりの自信作のようです。

4枚目は日本画家のSさんのものです。(写真5)

写真5 日本画家Sさん

彼女は「しろの会」というグループで一緒に活動した仲間です。
繊細な抒情的センスの持ち主でしたから、
このシルクスクリーンの賀状も水辺の風景の豊かな表情を捉えた美しい仕上がりになっています。
淡い色調でも軽くはならず、格調の高い品格が漂っている佳作です。

次は1995年です。
この年も大きな節目の年でした。
岡山大学に赴任して2年目、念願の助教授に昇任しました。今で言う准教授です。
やはり講師と助教授では重みが違います。
ようやく大学の先生になれたという実感が湧きました。

もう一つは1年2か月の単身赴任生活を切り上げて、総社に自宅を構えたことです。
先輩のO先生が探してくれた中古の農家を買い取り、
リフォームして書斎とアトリエのある家を持ったのです。
リフォームも楽しめたし、古い家に住むことが念願だったので、この家には20年間住みました。
夏に完成した新居に移った時の喜びは忘れません。
まさに舞い上がるような気持でした。

夏休みには新しいアトリエに寝転がって、幸せ気分を満喫したものです。
しかし好事魔多しです。
調子に乗って猫の喧嘩に介入し、右膝に大怪我を負い、
人生初の松葉杖生活を送ったのもこの夏のことでした。
この年の私の年賀状は、猪の迫力を前面に出しました。(写真6)

写真6 1995年

猪の頭部を最大限強調し、鼻息を吐いてまさにこれから突進する場面を描きました。
私たちは不安げにその背中にしがみついています。

この年に来た年賀状を紹介しましょう。

1枚目は横浜国大附属中の卒業生Tさんのものです。(写真7)

写真7 横浜国大附属中卒業生Tさん

担任したこともあるTさんは明るく温厚な性格で、
年賀状の猪にもTさんの人間味が出ている気がします。
猪の顔をアップで描いていますが、怖いというよりはどこか優しい感じです。
目の穏やかな表情がその印象を生み出しているのでしょう。

2枚目は一陽会の先輩画家H先生のものです。(写真8)

写真8 一陽会先輩画家H先生

H先生とは深い付き合いではありませんでしたが、折に触れ私を励ましてくれました。
年賀状は全体が金色の豪華なものです。
これも猪の頭部だけを画面に取り込んでいますが、
ハッチングで作った余白をたっぷり取り、そこに文字を大きく入れています。
猪の表情は意志の強さを感じさせます。

3枚目は横浜国大附属中卒業生のY君のものです。(写真9)

写真9 横浜国大附属中卒業生Y君

Y君は野球や長距離走が得意な生徒で、
担任したクラスでもリーダー的な存在でした。
年賀状にも当時の近況報告が書いてあり、
充実した生活ぶりが猪の表情からも窺えます。
使われている技法は特定できませんが、
洒落たデザインで夢の世界を楽しく疾走しているような猪が描かれています。

4枚目は一陽会版画部のOさんのものです。(写真10)

写真10 一陽会版画部のOさん

Oさんはすでに何度か登場しているので、記憶にある方もいるでしょう。
銅版画による贅沢な年賀状で、今回は疾走する猪を描いていますが、
前後にいる2匹の小さな動物がうり坊なのかは分かりません。
後ろはネズミのようにも見えますから、何か物語性があるのかもしれません。

5枚目は附属横浜中卒業生のK君のものです。(写真11)

写真11 横浜国大附属中卒業生K君

K君は美術部員として活躍した生徒で、
個性が強くマイペースな性格でした。
年賀状は当時取り組んでいたCGイラストによるもので、
疾走する猪を俯瞰で捉えて迫力を出しています。
上に乗っている特異なキャラクターはK君自身でしょう。
好きなこと得意なことをやることの重要さが伝わってくる1枚です。

2007年もまた節目の年でした。
まずは岡山大学教育学部で教授に昇任しました。
兵庫教育大学連合大学院の〇合資格を取ってから4年待たされましたが、
一区切りついた感じがしたものです。
また神林恒道先生監修の鑑賞ガイドブック『日本美術101』が刊行され、
私も著者の一人として、8人の画家を担当し、文章を寄せました。

絵の方では伊勢神宮の式年遷宮記念美術館の特別展『月・歌会始御題によせて』に委嘱出品しました。
約一か月の開催期間は私にとって夢のような時間でした。
何しろ洋画では梅原龍三郎や坂本繁二郎、猪熊弦一郎、
日本画では加山又造や東山魁夷など
美術史に登場するような画家たちと一緒に私の作品が並べられただけでなく、
大学・大学院の恩師で芸術院会員でもあった国領経郎先生ともご一緒できたからです。
そして私の出品作《SHOOT》は会場入り口に展示され、
横には天皇、皇后両陛下の短歌が飾られていました。
「現代的な月の絵が欲しかった」という学芸員の方の推薦理由通り、
私のシュールな絵は会場で目立っていたと思います。
ちなみに私の作品の裏側には、尊敬する東山魁夷さんの絵が飾られていました。

またこの年、20回記念の個展を横浜髙島屋で開催し、
それに合わせて2冊目の作品集『羊の惑星』を上梓しました。
こうして振り返ると、私の「二兎追流人生」がこの頃軌道に乗り、
成果が実を結び始めたことが分かります。
この年の私の年賀状は、マンガ的ギャグの世界です。(写真12)

写真12 2007年

巨大猪とダブルイメージの小山の上で、私たち二人はまったくのん気な様子です。
そんな私たちにカラスが「アホ―」と言っているわけです。
懐に入ってしまうと全体が見えなくなるという風刺です。

この年に来た年賀状の1枚目は、横浜国大附属中卒業生のKさんのものです。(写真13)

写真13 横浜国大附属中卒業生Kさん

Kさんは明るく元気いっぱいの附属大好き少女でした。
担任した時も協力的で、卒業後はよく個展に顔を出してくれました。
そんな彼女の年賀状は猪の親子と花を組み合わせた構図で、
黒色をうまく使って画面を引き締めています。
花は椿と水仙で画面にやさしい雰囲気を醸し出しています。
親猪に甘えるうり坊も可愛いですね。

2枚目は姫路在住の気球乗りKさんのものです。(写真14)

写真14 姫路の気球乗りKさん

Kさんは気球が大好きで、私が描いた気球のある絵も持っています。
彼女がデザインした猪はとてもおしゃれで、躍動的な猪の体が装飾的に処理されています。
そしてよく見ると、猪の体の模様に花札仲間の鹿と蝶が隠されているのです。
部屋に飾っておきたいような秀作です。

3枚目は岡山大学卒業生のSさんのものです。(写真15)

写真15 岡山大学卒業生Sさん

Sさんは学部時代から描写力があり、
彼女の素描による自画像は今も参考作品として残っています。
年賀状の猪も素早い素描の上に淡彩をのせて、
まさに「生きている」という実感が伝わる力作です。
やや斜め前から捉えた短縮法の構図も見事ですね。

4枚目は岡山の彫刻家で常連のSさんのものです。(写真16)

写真16 岡山県の彫刻家Sさん

鋭角的な太い直線で猪の力強さや勢いを巧みに表現しています。
常に造形性の探求をしている作家らしく、ここでも魅力的な様式に到達しています。

5枚目はこれも常連の岡山大学卒業生Kさんのものです。(写真17)

写真17 岡山大学卒業生Kさん

シルクハットに三つ揃いのスーツを着て街路を散歩する猪を描いていますが、
この猪が何かのキャラクターなのかはよく分かりません。
湾曲した建物の描写と猪の幸せそうな表情が印象的だったので選ばせてもらいました。

最後は2019年です。
この年の最大のイベントは、静岡県伊東市にある池田20世紀美術館で
私の大きな企画展『美しい驚き 泉谷淑夫の世界』が開かれたことです。
同美術館の運営に関わっていた
月刊『美術の窓』の編集者K女史の推薦で実現した展覧会でしたが、
一陽会では過去に森秀雄代表と鈴木力顧問の二人だけがやっている会場だったので、
いつかは自分もと思っていたものの、
本当に実現するとは思っていなかったので、大きな喜びでした。
ただK女史は会期を前にしてご病気で突然逝去されたため、
一番見てもらいたかった人に展覧会を見てもらえなかったのは、何とも心残りでした。
約3ヶ月の会期中の11月には同時開催と銘打って、
横浜髙島屋美術画廊で第35回の記念展も開催しました。

年度初めにはもう一つのサプライズが実現しました。
前年に教え子たちから依頼された最初の赴任校である大住中学校への寄贈絵画《飛翔の郷》が完成し、
無事納めることができたのです。
教え子たちの力を借りて、大住中学校へ恩返しが少しできた感じがしました。

このように振り返ると、亥年との相性はかなり良かったのかもしれませんね。

ただしこの年の私の年賀状はありません。
前年に家内の母が亡くなったため、喪に服していたからです。
という訳で私の所に来た年賀状を紹介しましょう。

1枚目はダチョウやゴリラなどの巨大木彫像で有名な岡山県の彫刻家Kさんのものです。(写真18)

写真18 岡山県の彫刻家Kさん

この美術の散歩道でも常連さんです。
猪の像は見たことがありませんが、
Kさんが創ったら多分こんな感じになるのではと思わせるに足る力強い素描です。
猪の荒い鼻息が聞こえてきそうな迫力ですね。

2枚目は岡山大学附属学校園の教員Y先生のものです。(写真19)

写真19 岡山大学附属学校園教員Y先生

Y先生は絵心もあって、私の個展も何度も見てくれていますが、
この年賀状に描かれた猪の素朴で力強い味は、なかなか出せるものではありません。
これを飾っておけば、家内安寧は間違いないでしょう。

3枚目はミニマルアートのように
極力説明を押さえて本質に迫ろう(と同時に手を抜こう?)する表現です。(写真20)

写真20 岡山大学教員O先生

作者は岡山大学の後輩教員のO先生。
『教師を目指す若者たち』というベストセラーも持つ方で、
私とは中学校『美術』の教科書作りでも長年一緒でした。
鼻づらと牙だけで猪を表すセンスはさすがですね。

4枚目はこれも常連の国立大学教員A先生のものです。(写真21)

写真21 国立大学教員A先生

毎回シュールな発想を展開するA先生ですが、
今回は宇宙空間に浮かぶ古代神殿の中をたくさんの怪魚が通り抜ける百鬼夜行のような図です。
中央と右下の怪魚は頭部が猪です。
中央の怪魚の尾の背後に『紅の豚』のポルコ・ロッソの肖像画が見えます。
A先生の想像力には感服します。

5枚目は岡山出身の画家Aさんのものです。(写真22)

写真22 岡山県出身の画家Aさん

Aさんとは倉敷の私の個展で知り合いましたが、
東京で頑張っているだけあって、強い意志を持った女性でした。
年賀状は「亥」の字を絵文字にした力強い作品で、鼻づらとひずめを上手い位置に重ねています。
「亥」の字の形が持っている勢いを生かしたところが成功の要因でしょう。

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