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第5回「 西洋における風景の発見」

前回予告しましたように、今回は「西洋における風景の発見」にまつわる話です。

前回私は、15世紀前半の北方の画家たちの宗教画の共通点として、舞台となった室内にしばしば窓が描かれ、窓外の風景が緻密に描写されていること、そしてそこに西洋の画家たちの風景への強い憧れと風景画の誕生を予感すること、そして「西洋における風景の発見」こそが北方ルネサンスの特色であり、後にイタリアの画家たちに影響を与えることになる北方の優位性だ、と述べました。

私は自分のことを「風景画家」と認識していますので、人物中心のイタリア・ルネサンス絵画よりも、風景に早くから眼を留めた北方ルネサンス絵画に惹かれる傾向があります。

そこでまずは「西洋における風景の発見」の根拠となるいくつかの作例からお見せしましょう。

最初はロベール・カンパンの作品です。
カンパンは前回紹介したヤンの先輩に当たる画家ですが、長いこと実態がよく分からなかったため、「フレマ-ルの画家」と表記されていました。
近年の研究の成果で作家が特定できたことは嬉しいことです。

カンパン《炉端の聖母》1420~25年
カンパン《炉端の聖母》1420~25年

《炉端の聖母》の全図と部分図を見てください(写真参照)。


描かれている場面は、暖炉を背にした聖母マリアが、膝に幼児イエスを抱いて、授乳しようとしている室内の情景です。

暖炉の前に置かれた円形の火除けが光背を暗示しています。左奥に窓があり、そこから見える外の風景が緻密に描写されています。

部分図《炉端の聖母》
部分図《炉端の聖母》

建物だけでなく、通りを行きかう人馬まで描かれています。

絵全体の主旨から言うならば、この部分は不必要です。窓は眼を屋外に導いてしまうので、主役である手前の聖母子から注意をそらさせかねません。

その危険を冒してまでも、画家は窓外の風景を描きたかったのだと思います。風景の美しさを発見してしまった画家にとって、それを描かないでおくことは、とてもできない相談だったのではないでしょうか。

カンパン《聖バルバラ》1438年頃
カンパン《聖バルバラ》1438年頃

カンパンは他の宗教画でも、しばしば画中に窓外の風景を取り入れています。

《聖バルバラ》でも、宗教画を口実に風景を描きたいという欲求を満たしているようです(写真参照)

部分図《聖バルバラ》
部分図《聖バルバラ》

屋外の風景には空間的な開放感があり、自然の光が満ちています。

それを表現するのに必要な空気遠近法や油絵の具によるぼかし技術も、この時期に北方で完成され、それらを最高度で達成したのがヴァン・エイク兄弟で、前回紹介したヤンはその弟の方です。

今回は二人が共同で完成させた『ゲントの祭壇画』の外面をお見せします。
そこにはカンパンをしのぐ美しい風景が描かれているからです。

《ゲントの祭壇画・外面》1432年
《ゲントの祭壇画・外面》1432年

まずは全図から(写真参照)

三連祭壇画の両翼パネルを閉じた状態で、下段に寄進者や聖人が、中段の両端に《受胎告知》が描かれています。

《ゲントの祭壇画・外面》1432年
部分図❶《ゲントの祭壇画・外面》

その間に目をやると、右側に聖母の純潔を表す手洗い場と、左側には窓とそこから見える都市の風景が描かれています(部分図❶参照)。

部分図❷《ゲントの祭壇画・外面》
部分図❷《ゲントの祭壇画・外面》

この窓を拡大すると眼に見える世界のすべてを描いてしまおうとするヴァン・エイク兄弟の壮大な野心を見る思いがします(部分図2参照)。

さらに拡大すると、狭い街路で立ち話をする人や窓から外を眺める人までが見えてきます(部分図❸参照)。

部分図❸《ゲントの祭壇画・外面》
部分図❸《ゲントの祭壇画・外面》

このような飽くなき風景への追求姿勢が、《ニコラ・ロランの聖母》のような宗教画での精緻な風景描写へと繋がっていくわけです。

ところで画中に窓と窓外の風景を描く行為は、全く新しい絵画効果を生むことにもなりました。

画中の窓外の風景を見ている時、私たちは画中の部屋から外を覗いているような錯覚に陥ります。つまり画中の窓は見ている絵が絵であることを忘れさせてしまうのです。

これは前回紹介したヤンの《アルノルフィニ夫妻像》に描かれた凸面鏡の場合も同じです。
人は画中の窓や鏡を見ながら、絵の中に取り込まれていくのです。

額縁に入った写実的な絵は、それだけでもすでに窓や鏡のようですから、そこに窓や鏡を描くことによって、入れ子式の絵画の迷宮が誕生するというわけです。
このしかけをさらに複雑にしたのが、17世紀スペインの画家ベラスケスの代表作《ラス・メニナス》です。

北方ルネサンスの画家たちが、画中に窓や鏡を描いたことで、西洋絵画は新しい時代を迎えました。
それは絵画の構造が複雑になったとともに、百年後の「風景画の誕生」という画期的なムーブメントを予言したのです。
これが北方ルネサンス及び北方の画家たちを私が高く評価する理由です。

私が描いた「窓のある室内風景」といえば、例の「フェルメールの絵に忍びこんだ猫たち」のシリーズですが、フェルメールの窓はまた別の効果を担っています。
それは絵に広がりを与え、開放的な雰囲気を作り出すことです。
つまり窓外の光や風を画面に取り込む効果です。

じつは私も20年ほど前に描いた《風の神話》という絵で、この効果を使ったことがあります(写真参照)。

泉谷淑夫《風の神話》1999年
泉谷淑夫《風の神話》1999年

この絵では大きく開け放たれた窓から、光や風と共に雲までが侵入してきています。

この時の私は、北方ルネサンスの画家たちがおそらくそうだったように、時代の閉塞感を破りたかったのかもしれません。

次回は北方ルネサンスの画家たちによる「風景の発見」が、イタリア・ルネサンスの画家たちにどのように受け継がれていったかを見て行きます。

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