
第76回『 マイ・コレクション/ 絵ハガキ その8 〜著しく縦長のもの②〜』
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猛暑は相変わらずですが、大学は8月から夏休みなので私は一息付けます。
もっとも大量のレポートの採点と成績付けがあるので、夏休みとは言えやるべき仕事はたっぷりあります。
それにしても7月の猛暑はすごかったですね。
7月初旬から下旬にかけて新大阪駅のプラットホームの温度が日増しに高くなっていくのが分かるほどでした。
私の場合は乗車予定の「のぞみ」をホームで待つ時間が5~10分なので、なんとかしのいでいますが、
待ち時間がもっと長かったら熱中症になってしまうかもしれません。
そんな暑さの中の嬉しいサプライズは5月14日に続いて40年前の横浜国大附属横浜中学校時代の教え子が私の授業を聴講しにやってきたことです。
5月は大阪在住の教え子が一人でしたが、7月9日は何と三人、しかも新参の二人は横浜からです。
ちなみにこの二人はお医者さんで、水曜日がちょうど休診日ということでやってきたのです。
お目当ては『絵画概論』のバンクシーの授業でした。
この三人は大の仲良しトリオで、中学時代からの長い付き合いです。
授業の後、学食でお昼を一緒に食べましたが、昔話に花が咲き、楽しいひと時を過ごすことができました。
「持つべきものは教え子!」と再認識し、
初心を忘れずにいつか来る最後の日まで授業をしっかりやろうと決意した日でした。
さてマイ・コレクションの絵ハガキ編は今回が最後です。
そこで「著しく縦長のもの・その2」は趣向を変えて、『東西美人画対決』としてみました。
前回お話ししたように、著しく縦長な絵は掛け軸や柱絵の伝統を持つ日本絵画に多く、
祭壇画の扉絵を除くと伝統的な西洋絵画では珍しい存在です。
ところがジャポニズムの洗礼を受けた後では西洋絵画でも著しく縦長な絵が登場します。
そんな中で著しく縦長な絵で一世を風靡したのが
アール・ヌーヴォーの代表作家アルフォンス・ミュシャです。
最もミュシャの場合、最初は全紙を縦に2枚繋げたポスターでしたが、
やがて装飾パネルの世界で4枚組のシリーズ作品を手掛けるようになると、次々と著しく縦長な絵の傑作を生みだします。
しかもそれらの表現の幅は広く、写実的なものから幻想的なものまで多彩です。
そこで今回の『東西美人画対決』の西洋代表はミュシャにしました。
対する日本代表ですが本来なら浮世絵師の歌麿で行きたいところですが、
歌麿の絵ハガキは大首絵が多いので、著しく縦長のものが少ないのです。
そこで目を付けたのが、近年再評価が進んでいる日本画の美人絵師・鏑木清方です。
鏑木清方と言えば名作の誉れ高い《築地明石町》が有名ですが、
これに《新富町》と《浜町河岸》を加えた美人画三部作が連作という意味でも、ミュシャと対抗するのにふさわしいと判断しました。
それでは両者の美人画比べを始めましょう。
最初はミュシャのポスターデビュー作《ジスモンダ》です。(写真1)
舞台劇の主演女優であるサラ・ベルナールの颯爽としたたたずまいを見事に視覚化しています。そしてポスターの生命線である文字とイラストレーションの棲み分けと融合も絶妙です。
つまりミュシャは最初に創ったポスターから最高の高みに達してしまったのです。
このポスターが街に張り出されると大反響が起こりました。次々と剝がされてしまったようです。当然クライアントであるサラは大満足し、ミュシャと長期契約を結びます。ミュシャは幸運と大飛躍のチャンスを同時に掴みました。
私は鑑賞の授業でもミュシャは必ず取り上げますが、アール・ヌーヴォーのポスター作家の中にはミュシャよく似た作風のライバルたちが多数いるので、その人たちとの比較をよくやります。
「似て非なるもの」と言いますが、ミュシャと彼らを比べると差は歴然です。ポスターとしての完成度が全然違うのです。
そして人物の描写からはミュシャの類いまれなデッサン力が伝わってきて、晩年に20点から成る油彩画の超大作群『スラブ叙事詩』を描き上げた画家としての実力も垣間見られるのです。
この作品と比較してみたいのが、鏑木清方の《朝涼》です。(写真2)
題名の読み方は「あさすず」で、モデルは清方の長女清子です。
夏の朝、蓮畑のそばを通りかかる若い娘を描いています。蓮の蕾がひとつ頭をもたげていますが、若い娘は蕾に目をくれるでもなく、凛とした風情で前を見据えて歩んでいます。
空をよく見ると残月が淡く浮かんでいるのが見えます。若い女性をモデルにした絵は無数にありますが、この絵のように人物の清廉さを具現化した作はなかなかありません。その清廉さは透き通るような娘の肌の白さや横顔の表情、三つ編みにした長い黒髪、淡い紫色の着物、朝霧にかすむ蓮畑の青緑色などが総合されて生まれる印象です。
《ジスモンダ》の颯爽とした女性像とは対照的です。《ジスモンダ》はギリシャを舞台にしたメロドラマですから、描かれているのは成熟した女性像のイメージです。それに対し《朝涼》はあくまで女性としては蕾の少女のイメージです。
しかし共通点もあります。《ジスモンダ》は棕櫚、《朝涼》は蓮というように女性と植物を組み合わせているところや左手で髪の毛の先に触れていて、そこに一種の女性らしさを感じさせるところです。
次はミュシャのポスター《椿姫》です。(写真3)
これもミュシャがサラの舞台劇ために創ったポスターですが、サラはこれも大変気に入り、アメリカ巡業公演の際にも使用したほどです。
椿姫は原作小説の悲劇のヒロイン、マルグリットのことで、貴婦人のような品格と無垢な少女の魂を持つと言われたそのイメージを、ミュシャはサラに置き換えて見事に体現しています。
ポイントは目を閉じた横顔と清楚でありながらゴージャスさも感じさせる白の衣装の組み合わせです。両者を、衣装を胸元でたくしあげる左手がつないでいます。歌麿の美人画でもそうですが、手の処理は重要なウェートを占めています。
ちなみにこの衣装はサラの依頼でミュシャがデザインしたものです。足元には大輪の椿の花が描かれ、ここでも女性と植物の組み合わせが用いられています。背景には満天の星が装飾的に散りばめられ、豪華さとロマンチックな雰囲気を醸し出しています。
《ジスモンダ》の人物や背景が硬さを感じさせるのに対し、《椿姫》では人物も背景も柔らかくなった印象です。劇の内容やヒロインのイメージに合わせた演出ができるところがミュシャの才能の奥深さなのです。
これと比較したいのは鏑木清方の《浜町河岸》です。(写真4)
この作は清方の三部作の1枚で、日本橋の浜町が舞台です。
浜町は明治末に清方が6年ほど暮らしたこともある馴染みの場所です。背景には浜町の街並みや火の見櫓などが淡く描かれています。町娘が踊りの稽古の帰りに、ふと稽古の内容を思いだしながら何か思案しているような場面です。扇子を口元にあてた姿が何とも初々しく、自然にこぼれ出たような色香を感じさせてくれます。着物は細かい松竹梅と流水紋の組み合わせで、《椿姫》とは別の方法で女性と植物を組み合わせています。襟や袖や帯の赤が鮮烈な印象ですが、この赤は若い娘の内に秘めた熱い情熱を匂わせているのかもしれません。
《椿姫》の女性の威風堂々とした華やかな立ち姿に比べると、どこか頼りなげで心もとない風情ですが、逆にそれがこの作品の大きな魅力に繋がっているような気がします。弱さや儚さも女性にとっては魅力になり得るのです。
皆さんはどう思われますか?
ミュシャの3点目は『四つの星』の連作の内の《明けの明星》です。(写真5)
『四つの星』のシリーズは夜が舞台のため、ミュシャにしては珍しく暗い色調の画面です。
そしてポスターと違って文字がありませんから、純粋に絵画としての表現になっています。
どの絵にも四つの星の擬人像としての女性が登場しますが、主役はあくまで星の輝きです。とは言えこのシリーズの魅力がそれぞれの女性像の表現にあることも間違いありません。
《明けの明星》の女性は正面向きの美しい姿態が衣装と思われる布から半分くらい露出しています。額に当てた右手の辺りから星の強い光が放たれ、その反射が女性の顔を神々しく見せています。この腕と手の描写を見ても、ミュシャのデッサン力の高さが窺い知れます。
右側に空間を空け、女性の体を右側に傾けることで大きなムーブマンを創り出しているところもこの絵の魅力です。ポスターの様々な制約から解放されて、伸び伸びと楽しんで描いているミュシャの姿が思い浮かぶような一枚です。
この絵と比較してみたいのが鏑木清方の描いた美人画の最高峰と称賛される《築地明石町》です。(写真6)
《築地明石町》は1927年に発表されて評判を呼んだ後、1975年の展覧会を最後に44年間も行方不明になっていた「幻の名画」です。
それが近年再発見され、合わせて三部作の一枚だったことも分かって大きな話題になりました。
私はそんな事情は知らず、最初に図版でこの作と出会った時から心酔し、1998年に上梓した鑑賞用テキスト『美との対話』において「日本女性の色香」と題したページにこの絵を掲載しました。三部作の中でもとりわけ完成度が高いこの絵をミュシャの《明けの明星》と比較するのは、人物のポーズと配置によるムーブマンの作り方が似ているからです。
この絵では空間を左側に作り、女性が後ろを振り返ることで静かなムーブマンを創り出しています。女性はヌード対着物姿で対照的ですが、共通点はあるのです。
ところでこの女性の足元を見ると素足です。髪も少しほつれています。表情にもやや疲れが見えます。描かれている時間帯は早朝と思われ、この女性の視線の先にいる人物が男性だとしたらなどと考えたりすると、限りなく想像は膨らんでくるのです。
そのような詮索とは別にこの絵の精緻な描写や繊細な色使いは、この絵が名作であることを物語っています。
ミュシャの最後の絵は『四つの星』の連作の内の《北極星》です。(写真7)
この絵は『四つの星』の中では最も動的な一枚です。
画面の四分の三を占める衣装の布が龍のように激しく躍動し、女性のたくましい素足に絡みついています。
女性右手から北極星の光が放たれ、これがこの絵の光源となって光から顔をそむける女性のうなじや頬を照らしています。反射光のオレンジ色が背の景の淡い青色と響きあって、さらに女性の生命感を強めています。
輪郭線を使った造形にもかかわらず、ミュシャの描く人物が立体感やボリュームを感じさせるのはこのような細かい色彩への配慮があるからなのです。
左手で隠されてはいますが、女性の顔の美しさも十分に伝わってきます。ミュシャが描いた女性像の中でも、これだけ変化に富んだ複雑な動きを見せる例は珍しいと思います。
そしてこの絵は装飾的な華やかな絵を得意とするミュシャが、幻想的な深みのある絵を描く資質も十分に備えていたことを証明しています。この力が無ければ晩年の超大作シリーズ『スラブ叙事詩』の偉業は達成されなかったはずです。
この絵と比較したいのが清方の三部作の最後の一枚《新富町》です。(写真8)
新富町は花街であったので、新富芸者と思しきスラっとした背の高い女性が少し腰を折って蛇の目傘を開いたところです。小雨が降ってきたのでしょう。顔も体も左向きで、顔は完全な横顔です。横顔は美人画には珍しいと思われがちですが、鳥居清長はよく描いていますし、歌麿も描いています。しかしそれらは群像の中の人物なので、単体の美人画で横顔というはやはり珍しいと言えます。
この作も《浜町河岸》や《築地明石町》と同様に着物の描写が精緻で、息が詰まるほどです。
三部作の見どころのひとつは間違いなく着物の描写でしょう。それに加えて蛇の目傘が様々な効果を発揮しています。天候の変化を伝えるだけでなく、絵に大きな動勢をもたらし、三重の楕円が画面を活気づけます。
ミュシャの《北極星》と比べると、女性の上半身が大きな動勢を創っているところが共通しています。違いはミュシャの方が上体をひねっていて、より動的なところです。そしてミュシャが天上世界、清方が地上の世界というように場面設定も対照的です。
二人は女性を主役とした独自の絵画世界を開拓して、当時の画壇や社会で一世を風靡しただけでなく、21世紀の今もなお魅力の光を放ち続けているのです。








