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第21回「2020年の新作・羊の大作と再制作」

新年明けましておめでとうございます。

コロナは相変わらず終息していませんが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

昨年後半は6回に渡り、ポスターの話にお付き合いいただきました。
その間、私の絵が登場する機会が全くなかったので、年明けの2回は昨年の私の新作を紹介したいと思います。
コロナ禍で作品発表の機会はほとんど奪われましたが、制作のペースは落ちず、むしろ家にこもることが多かったので、例年以上に描いていたような気もします。
絵の制作はアトリエでの孤独な作業なので、コロナの影響はこと制作に関する限り、ほとんどありませんでした。
つくづく絵描きで良かったと思えたものです。

写真1《IKAROS》全図

最初に紹介するのは、3月の関西一陽展と9月の岡山県展に出品する予定だった《IKAROS》で、大きさはF50号です。(写真1)

最近多用している落下した宇宙飛行士がモチーフです。

舞台設定はどこかの星ですが、クレーターのひとつに堕ちた宇宙飛行士を、羊たちが囲んで不思議そうに眺めている場面です。
宇宙への脱出に失敗したのか、はたまた元の場所に戻って来てしまったのか状況は謎ですが、羊たちはリーダーの迷走に困惑しているのかもしれません。
題名は、父ダイダロスの忠告を聞かずに太陽に近づきすぎて、蝋の羽根が溶けて地上に堕ちたギリシャ神話のイカロスの物語に由来しています。
宇宙飛行士や羊たちのディテールもご鑑賞ください。(写真2~4)

写真2《IKAROS》部分図1
写真3《IKAROS》部分図2
写真4《IKAROS》部分図5

結局、この作品は昨年11月の岡山県美術家協会の特別展に出品しました。

次は9月の一陽展に出品する予定だったP200号の大作《対話》です。(写真5)

写真5《対話》全図

古代の戦士の像と羊飼いでもある現代の宇宙飛行士が向き合って、対話しているような場面にしました。
モチーフとなった像は、紀元前490年頃に造られた古代ギリシャの戦士像。
トロヤ戦争を表した群像彫刻の一部です。
アテネの南西にあるアイギナ島のアファイア神殿にあったもので、現在はミュンヘンのグリュプトテークに飾られています。
この像の写真は随分前の芸術雑誌に載っていたもので、気にいったのでスクラップしていました。
アルカイック・スマイルを浮かべた何とも言えぬ表情が魅力で、いつか自分の絵に登場させたいと思っていたところ、この像を巨大化し、現代科学の最先端である宇宙飛行士と「対話」させてみるアイディアが浮かんだのです。(写真6)

写真6《対話》部分

舞台は古代の神殿とし、背景には近代科学の象徴の飛行船を浮かべました。(写真7)

写真7《対話》部分

つまりこの絵は、時空を超えての戦士と宇宙飛行士の「対話」なのです。

宇宙飛行士が戦士と何について語り合っているのかは皆さんの想像におまかせしますが、古代、近代、現代と時代は変わっても人間の世界から戦争が何故なくならないのかという「永遠の謎」について語り合っているのかもしれません。

宇宙飛行士が引き連れる羊たちは何を思うのか、一見したところ古代の神殿を訪れた観光客のようにも見えます。(写真8,9)

写真8《対話》部分
写真9《対話》部分

ちなみに神殿の柱の間からのぞく山並みは、私の生まれ故郷、神奈川県伊勢原市の霊山・大山(阿夫利山)です。(写真10)

写真10《対話》部分

3、4点目は再制作作品です。

旧作の再制作は近年時々行っています。最近では池田20世紀美術館での個展に出品した《愁傷のモニュメント》P80号と《顕現》S100号がそれに当たります。

前者は第12回神奈川県美術展の大賞受賞作、後者は第6回小磯良平大賞展の優秀賞受賞作です。

それらの作品は買い上げになって収蔵されているため、自分の個展に出品する場合でも、交渉や様々な手続き、作品移動のための経費がかかります。
そこでそのような面倒を避けるためと、自宅のギャラリーにも飾りたいという理由から、再制作を始めたのです。
これまでもコレクターの要望で旧作を再制作したり、個展で売れた作品を再制作したり、時には作品の保管上の不注意で画面が剥落し、修復が困難な場合なども再制作しましたが、手元を離れた過去の受賞作を再制作するのは近年のことです。
それだけ私の中にこれまでの歩みを振り返るアーカイブ的な気分が出てきているのでしょう。

写真11《楽園幻想-雲-》全図

1点目は第8回花の美術大賞展の大賞受賞作《楽園幻想-雲-》S50号です。(写真11、12)

写真12《楽園幻想ー雲ー》部分

花の美術大賞展4回目のチャレンジでようやく射止めた頂点でした。
最初はレベルを甘く見ていて、私の好きな向日葵と蓮の花で勝負しましたが入選止まり。
2度目はカラフルな気球を花に見立てた趣向で挑戦するもスポンサー賞。
3度目は私の「羊の世界」で勝負するも同じくスポンサー賞。
4度目はS50号の羊作品で、気合全開で勝負しての結果でした。
この絵は制作活動が非常に活発で充実していた1998年に生まれた作なので、再制作しながら楽しい気分が味わえました。

ところで、再制作は作品の正確な記録が残っていないとできません。
この絵の場合は作品集にも載せたので、写真家が撮影した良質の写真があったので、何とかやり遂げることができました。
完全な復元は無理ですが、かなり原作に近づけたと思います。
描きながら、この頃の羊は小さかったなあと思いました。
また当時は羊の写真を見ながら一生懸命再現していたことも思い出しました。
最近の羊は大きいし、写真を見て描くこともめっきり少なくなりました。

写真13《幽愁》全図

2点目は第10回神奈川県美術展の特選受賞作《幽愁》F80号です。(写真13)
なんと大学4年時の作です。
卒業制作の前に描いた絵で、神奈川県美術展初出品作です。
当時から同展はコンクールとしてかなりの難度であると先輩たちから聞かされていました。
入選できればもうけもの、くらいの気持ちで出品したので、県からの電話で受賞の知らせを聞いた時は本当にびっくりしました。
ちょうど卒業制作を進めていた時だったので、自信と勢いがついたのを覚えています。
特選は第3席にあたる賞で、貴重な賞金でイーゼルやキャビネットなどの大型備品を買いました。
作品はシュルレアリスム学習の途中経過という感じで、抽象的な人間のフォルムにタンギーの影響が明らかですが、評価されたのは画面下部に描かれたネズミの群れだったようです。(写真14)

写真14《幽愁》部分

このネズミたちが画面を活性化し、画面に新鮮さを与えたのです。
ネズミが出てくる絵というものは、私も見たことはないですからね。
当時の審査員たちが新しいモチーフや思い切りの良さ、社会へのメッセージ性などを出品者に期待しているのではないかと思えたのもこの時です。

ちなみにこの時の審査員長は、神奈川県立近代美術館の館長であった土方定一氏。
私も好きなブリューゲルの研究者として有名な方でした。
この先生がこの時から私の絵に注目し、高く評価してくださったことが、翌年の準大賞受賞、翌々年の大賞受賞という“快挙”につながったのです。
そんなご縁から、池田20世紀美術館の図録の評論文を息子さんの土方明司氏にお願いしたというわけです。
《幽愁》の再制作は、私に初心を思い出させてくれました。

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