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第32回「重厚な写実表現 インノチェンティの世界」

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前回の大型絵本の紹介の中で、
「写実的な絵本」というキーワードがよく出てきましたので、

今回は海外の「写実的な絵本」の代表として、
イタリアのロベルト・インノチェンティを取り上げ、
彼の絵本世界をじっくりと味わって行きましょう。

美術の世界でイタリアと言えば、何と言ってもルネサンスです。

15世紀から16世紀にかけてのイタリアには、

ボッティチェリ、レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロ、ティツィアーノなどの巨匠が次々と輩出され

まさに美術の黄金期が形成されたのです。

その中でとりわけ目立つのが絵画の革新で、
線遠近法(透視図法)が発明され、
明暗・陰影法が洗練されて、

前者は三次元の立体空間を、
後者は三次元の立体物を

それぞれ二次元の平面空間(画面)に移し替え、
イリュージョンを創ることに成功しました。

こうして確立された「写実表現」は以後400年以上に渡って、
西洋絵画の絶対的な指標として君臨したのです。

インノチェンティはその伝統を継ぐ作家ですから、
線遠近法と明暗・陰影法はお手のものです。

画面からにじみ出る独特の重厚感と密度は、
写実表現が巧みなアメリカのオールズバーグやウィーズナーと比べても突出しています。

そんなインノチェンティの絵に出会ったのは私が30代後半の頃で、

写真1『ローズ・ブランチュ』

『ローズ・ブランチュ』(平和のアトリエ)という絵本においてでした。(写真1)

表紙の絵に惹かれて開いてみると、
それまで見たことのない巧みな空間描写に引き込まれました。

ナチスの戦争の最中に主人公の少女が強制収容所のユダヤ人たちに出会うストーリーですが、何かドキュメンタリー映画を見たような気になりました。

特に印象的だった場面は、

写真2『ローズ・ブランチュ』

少女が強制収容所の有刺鉄線越しに痩せこけたユダヤ人たちに出会うシーン(写真2)

写真3『ローズ・ブランチュ』

破壊された収容所の前で少女が立ち尽くすシーン(写真3)

写真4『ローズ・ブランチュ』

有刺鉄線の残る同じ場所に春が訪れたシーン(写真4)です。

私自身も絵に色々なメッセージを込めてきましたが、
インノチェンティの表現は大変勉強になるものばかりでした。

ちなみにこの絵本では名前がイノセンティと表記さています。

それから2年後、今度はさらにその画力に驚く本に出会いました。

それが『ピノキオの冒険』(西村書店)です。

写真5『ピノキオの冒険』

箱入りの豪華本で、値段も3500円とそれなりです。

装丁が凝っていて、黒のクロス貼りの中央に絵の部分図が貼り込まれ、
タイトルは金の箔押しです。(写真5)

これにいたく感動した私は、

写真6 画集『楽園の寓話』と『ピノキオの冒険』

1999年に刊行した私の初作品集をそっくりな装丁にしたほどです。(写真6)

普通の絵本と違って文章量が多く、見開きで絵が展開するページは少ないのですが、
そのいずれもが見応え十分で、いくら見ていても飽きないほどです。

最初にピノキオが逃亡するシーンは、

写真7『ピノキオの冒険』

どうでもよい地上の出来事を俯瞰の視点から突き離して描いています。(写真7)

この絵本を紹介する授業では、
この絵からピノキオがどこにいるのかを探させたり、
この絵の情景は誰の見たものかを考えさせたりしています。

皆さんもぜひ挑戦してみてください。

主人公中心で絵が描かれることが多い日本の絵本にはない客観性が味わえるのも、写実的な絵本の良いところかもしれません。

次は旅に出たピノキオが悪いキツネとネコに絡まれるシーンです。

写真8『ピノキオの冒険』

この場面をインノチェンティは壮大な雪景色の中に描きだしました。(写真8)

見てください。その描写の精緻なこと!

絵本の絵にこれだけの情報を詰め込める熱量はどこから来ているのでしょうか。

よく見ると主役の三人が二か所に登場するなど、
絵巻物の「異時同図」の手法がさりげなく使われています。

私はこの絵を初めて見た時に、
ブリューゲルの《雪中の狩人》という名画を思い出しました。

インノチェンティもきっと意識したのではないでしょうか。

次の2枚の絵には彼が得意としている複合遠近法が使用されています。

写真9『ピノキオの冒険』

一枚はピノキオが首つりにされた場面(写真9)

もう一枚は

写真10『ピノキオの冒険』

嵐の海で遭難しかけているゼペット爺さんにピノキオが崖から叫ぶ場面(写真10)です。

いずれも奥へと向かう線遠近法の他に、
上空や足元の海辺へと視線を誘う線遠近法が組み合わされて使われています。

その結果、画面に強い緊張感が生まれているのです。

線遠近法の屈指の使い手インノチェンティの真骨頂です。

次に出会ったのは彼の中では最も売れている絵本『エリカ 奇跡の命』(講談社)です。(写真11)

写真11『エリカ 奇蹟のいのち』

この絵本は『ローズ・ブランチュ』に通じるナチスによるユダヤ人迫害の物語ですが、

最初と最後のページ以外は白黒表現で占められていて、絵本全体の重苦しい雰囲気造りに役立っています。

特に最初の見開きは秀逸です。(写真12)

写真12『エリカ 奇蹟のいのち』

ユダヤ人を列車に乗せて移送する場面ですが、
画面手前の柵がユダヤ人たちの顔を隠し、
そこに書かれた「VERBOTEN(立ち入り禁止)」の文字が、
私たちをこの場面から隔離する働きをしています。

背筋が寒くなるような見事な演出です。

写真13『エリカ 奇蹟のいのち』

その他のページには見開きの片面を使って場面が描写されていますが、

写真14『エリカ 奇蹟のいのち』

いずれも遠近法の心理的効果が高度に発揮された画面となっています。(写真13,14,15)

写真15『エリカ 奇蹟のいのち』

インノチェンティの線遠近法は一味もふた味も違うのです。

この後もインノチェンティは精力的に新しい絵本を出版しますが、

写真16『ラストリゾート』

作風に変化が起きます。

『ラストリゾート』(BL出版)では輪郭線の使用やコマ割りの活用など、
マンガ的表現にチャレンジしています。(写真16)

絵が軽くなった印象なので、ファンの間でも賛否が分かれるかもしれません。

私も最初は少し戸惑いましたが、

ベースとなっているのはやはり「写実表現」であり、
凝った空間描写も健在なので、これもよしとしました。

この絵本はミステリー仕立てで、
『宝島』『人魚姫』『星の王子様』『白鯨』などでお馴染みの
様々なキャラクターが登場する、読書好きの心をくすぐる構成となっています。

最初に取り上げるのは、

写真17『ラストリゾート』

主人公が物語の舞台となる海辺のホテルに着いた場面です。(写真17)

嵐が近づく夕暮れ時の光景が、何か不安を駆り立てるような雰囲気を漂わせています。

次はお得意の室内描写です。

写真18『ラストリゾート』

線を生かした軽めの描写は、それまでの重厚な印象とは異なりますが、
複合遠近法を使った正確な空間把握は間違いなく彼のものです。(写真18)

最後の場面はあの白鯨が登場する朝の浜辺のシーンで、

写真19『ラストリゾート』

物語の主人公たちが勢ぞろいしています。(写真19)

この場面の明るい開放感から察するなら、
インノチェンティはそれまでの息詰まるような重厚な表現から一時的にせよ
解放されたかったのかもしれません。

この絵本は彼にとって気分転換のための、まさに「リゾートホテル」だったのではないでしょうか。

最後に紹介するのは、これも売れ筋の『百年の家』(講談社)です。

写真20『百年の家』

この絵本では再び重厚な表現に戻っています。(写真20)

全体の構成は、テキストページと見開きの画面が交互に繰り返されるスタイルで、

写真21『百年の家』

見開きの絵が定点観測になっているため、

写真23『百年の家』

ある家の百年の歴史が一目で分かります。

写真24『百年の家』

これはめくりながら時々戻れる絵本のメディア性を良く生かした一冊と言えるでしょう。

ここでは四つの場面を抽出して紹介しますが、
興味を持たれた方は、ぜひ実物を手に取ってみてください。(写真21~24)

きっと絵のクオリティに感嘆し、物語に入って行くはずです。

西洋の石作りの家は長持ちしますから、
そこで暮らす何代かの人々の歴史と共にあります。
家の盛衰も社会の変化もすべて映し出します。
定点観測だからこその客観性が、
その物語に深みと重みを与えるのかもしれません。

そしてインノチェンティの絵は、
深みと重みのあるテーマに十分応えていると言えるでしょう。

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