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第48回『猫のギャラリー』第4回 ゴン、ジェフの加入

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今回はタローとジローのコンビに新たに加わったゴンとジェフを紹介します。

タローとジローを飼ってしばらくした頃、子猫が我が家の近くに捨てられていました。

私たちの住んでいた上粕屋の土地は調整区域で、自然が豊かな場所の行き止まりにあったので、
猫を捨てやすかったのだと思います。

もしかしたら私たちがすでにタローとジローを拾ったので、
また飼ってくれるのではないかと期待して捨てたのかもしれません。
その猫を拾ったのはタローとジローを飼い始めてようやく落ち着いてきた頃だったので、
2匹も3匹も同じかと思って飼うことにしたのです。

とりあえずまだ小さかったので、安易ですがチビと名付けました。

新入りに対するタローとジローの反応が心配でしたが、
幸いタローがチビの面倒をよく見てくれて、チビはタローになつきました。(写真1)

写真1 ゴンと育ての親タロー

チビはよく食べたので、たちまちタローよりも大きくなりました。

貫禄たっぷりになったチビですが、私が岡山大学に単身赴任をしていた時期と重なっていたため、
名前はそのままにしておきました。(写真2)

写真2 貫禄たっぷりのゴン(チビ)

2匹はまるで兄弟のようにしばしばシンクロ・ポーズを見せてくれたり(写真3)、

写真3 シンクロするゴン(チビ)とタロー

一つ座布団の上で夫婦のように過ごしたりしていました。(写真4)

写真4 夫婦のようなゴン(チビ)とタロー

チビが大きくなった頃、家内が勤めていた小学校で拾った猫を家に持って帰り、
ゴンと名付けて飼うようになっていました。

私は岡山に居ますから、その事情は後で知ったのですが、久しぶりに家に帰ると、
新しく仲間になった子猫のゴンと見違えるほど巨大化したチビに出くわしたわけです。

その瞬間閃いたのが名前の交換です。

貫禄の着いたチビをゴンに変え、漢字表記は「権」としました。

ゴンはチビに変わり、病院で調べたところ外国種であることが判明したので、
それらしくジェフに改名しました。

由来は、当時のアイドル歌手・松田聖子の彼氏の名がジェフだったからという、
またしても安易な命名です。

ジェフは最初小さな犬小屋に住まわせました。(写真5)

写真5 小屋に住んでいた子猫時代のジェフ

新参者のジェフを育てたのはゴンです。

ゴンはタローに育てられた経験があるので、自然とジェフにそうしたのでしょうか。

二匹はタローとゴンのように仲睦まじい姿をしばしば見せてくれました。(写真6)

写真6 ジェフ(左)を育てたゴン

この時期の4匹の関係はというと、タローとゴン、ゴンとジェフというように、
ゴンを介してタローとジェフも繋がっていたので、
ジローは次第に単独行動をとるようになりました。

雄と雌の違いもあったのでしょうが、
頭がよく、自分だけをかわいがって欲しかったジローとしては
我慢ならない状況だったような気がします。

4匹が餌を食べているシーンでも、他の3匹からジローだけが離れている様子が窺えます。(写真7)

写真7 4匹のそろい踏み

こういう背景を元に描いたのが《長閑な日》です。

サイズはM12号ですから、私が描いた猫の絵の中では最大のもので、
上粕屋時代の4匹の関係を象徴的に表した一枚です。(写真8)

写真8《長閑な日 》1996 M12

塀の上で悠然と風を感じるゴン(写真9)、

写真9《長閑な日・部分》

ドラム缶の上で穏やかに見守るタロー(写真10)、

写真10《長閑な日・部分》

寝起きの伸びをするジェフ(写真11)、

写真11《長閑な日・部分》

3匹には目もくれず尻尾を立て我が道を行くジロー(写真12)。

写真12《長閑な日・部分》

そういえばこの頃は空き地にドラム缶が並べている情景をよく目にしましたが、
近年はすっかり見なくなりました。
やたらにごみを燃やせなくなりましたからね。

ところで皆さんはこの白い壁の向こう側にどんな風景を想像するのでしょうか。

1995年に神奈川県の上粕屋から岡山県の総社市に連れてきたタロー、ゴン、ジェフの3匹は、
私たちの不注意で次々と白血病ウィルスに感染し、この世を去りました。

上粕屋ではノラをさせておいても全く伝染病にかかることはなかったので、
つい油断してしまったのです。

ゴンがまずかかり、仲の良かったタローとジェフにも感染し、
わずか1年半ほどの間に私たちはかけがえのない「家族」を失いました。
これは今でも思い出す度悔しくなるミスです。
以後は飼い猫に予防接種をするのは当たり前になりました。

次の3枚は家内の親しい友人からの注文画で、ゴン、ジェフ、タローを一匹ずつ、
それぞれ昼、夕、夜の場面として描いたものです。

《昼の夢》は、ゴンがドラム缶が並ぶ塀の上で気持ちよさそうに昼寝をしている場面です。(写真13)

写真13《昼の夢》1998

《長閑な日》から切り取ったような構図です。

部分図でゴンの見ている夢を想像してみてください。(写真14)

写真14《昼の夢・部分》

《夕の風》は、窓辺に置かれた餌を食べ終えたジェフが、
風に運ばれてきた紙風船に気を取られている様子です。

窓に夕暮れ時の空が映っています。(写真15)

写真15《夕の風》1998

《夜の声》は、満月の夜に私たちの呼ぶ声を聞きつけたタローが飛び跳ねて家に戻ろうとする姿です。

写真16《夜の声》998

実際のタローはこんなに颯爽とはしていませんでしたから、
多分にジローのイメージも重なっています。(写真16)

最後の2枚は家内とゴン、家内とジェフの組み合わせを描いたものです。
共にS8号の大きさですから、私の描いた猫の絵の中ではかなり大きめのサイズです。
この頃には家内もすっかり猫の扱いに慣れて、4匹の猫たちの世話を卒なくこなしていました。

《HOLIDAY》は大きなゴンを家内が膝の上に乗せて抱いている場面です。

窓辺の設定は想像上のものですが、ゴンの貫禄たっぷりな雰囲気と少し硬めの毛並みは上手く描けたと思っています。(写真17)

写真17《HOLIDAY 》1996

《針仕事の番》は2階の作業場で家内がミシンを使って針仕事をしている脇で、
番人のように作業の終わりを待っているジェフの眠そうな様子です。

こちらは総社市福井のリホームした古民家の様子をリアルに描いています。

ちなみにジェフが乗っている腰板の側面に貼ってあるものは、
家内のパッチワークの作品です。(写真18)

写真18《針仕事の番》2003

いかがでしたか。

前回と今回紹介したタロー、ジロー、ゴン、ジェフの4匹は、
私たちにとっては第一世代の飼い猫たちです。

結局親友一家に託したジローが一番長生きしたわけですが、
私たちの失敗も含めてその後の貴重な経験となりました。

この4匹のことを思い出すと、安心して半ノラ生活をさせてあげられた
上粕屋時代が今でも懐かしくなります。

次回からは第2世代の猫たちとお隣さんや私の絵のファンの方たちの猫が登場します。

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