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「春萌」

Gallery暦 -卯月- 2016

《春萌》
《春萌》

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4月になりました。
新年度が始まります。

正月に今年の目標や誓いを立てた人も、そろそろだらけてくる頃でしょうか。
そんな時、もう一回初心に帰るチャンスがあるのはいいことです。
私も毎年1月と4月にねじを巻きなおすのです。
1月には遠く思えた11月の個展も、4月になるとあと半年かと気も引き締まってきます。

自然界も4月になると、それまで溜め込んできたエネルギーを徐々に吐き出し始めます。
その典型が桜の開花でしょう。
そこで今回は、私の好きな山桜の絵を紹介することにします。

《春萌》はF0号の小さな絵です。
描かれているのは吉備の中山(きびのなかやま)山麓の山桜です。
私は元来山桜派で、岡山では成羽美術館や吉備津彦神社で素晴らしい山桜の眺めに出会ったことがあります。
しかし絵に何度も描いているのは、吉備の中山山麓の山桜なのです。

おそらく吉備の中山は毎日のように見ているので、
四季を通じて山全体がかもし出す力強い生命感と、
自然のサイクルの中で絶えず姿を更新している様が好きなのでしょう。

4月から5月にかけて国道180号線を車で走っていると、
車窓から淡い色彩に彩られた美しい眺めが目に飛び込んできます。
実はこのスポットは秋の彩りも素晴らしく、
そちらもよく絵に描きましたが、春の眺めも負けていません。

秋には「紅葉」という慣用句が用意されているのに、
春には何故そのような言葉がないのだろうかと、いつも疑問に思うほどです。
そこで私は勝手に「春麗」とか「春萌」という言葉を作って、絵の題名にしています。

《春萌》で描きたかったのは、まさに地中から春のエネルギーが湧き出してくるようなイメージです。
それを淡い色調と繊細なタッチの積み重ねで、
少しずつ出していくのが、描いている時の喜びでした。

スケールの大きな自然の営みを、あえて小さな画面に納めたことで、
自然界のエネルギーをギュッと閉じ込めた後に開放するような気持ちにもなりました。

よく見ると、山頂付近には冬に葉を落とした裸木の群れが、
山桜の周りは常緑樹の木々が囲んでいます。
それらは新生の山桜を歓迎し、温かく見守り、励ましている老人や大人たちのようでもあります。
自然界の中には競争と共存のシステムが見事に組み込まれているわけですが、
春の彩りを眺めていると、なんだかとても優しい気持ちになれるのです。
私が山桜を好きなのは、周りの様々な彩りの中でその美しさを感じられるからなのでしょう。

風景画の世界でよく聞くのは、
印象派の第一人者のモネは、自然の移ろい行く表面を描き、
印象派を通過したセザンヌは、自然の内側の不変の構造を描いたという話です。
これになぞらえるなら、
私は自然界のエネルギーの発露を描こうとしているとも言えます。

それはファンタスティックで、
ロマンティックで、
ダイナミックな光景です。

だから私は目が離せなくて、つい車をわき道へとすべりこませ、
しばしの間、鑑賞会・撮影会に浸ってしまうのです。

泉谷 淑夫

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