
第69回『マイ・コレクション/ 絵ハガキ その1〜珍しい作家編 ①〜』
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新年になりました。今年もよろしくお願いします。
今回から『美術の散歩道』のテーマが変わります。
新テーマは「マイ・コレクション」です。
私には収集癖があって、美術に関するものを色々と集めています。
コレクションの醍醐味はとにかく集めることです。
集めているうちに色々と見えてくるものがあり、
そのために整理したり、分析したり、研究したりするようになります。
特に珍しいものが集まると、とても豊かな気分に浸れます。
絵本なども集めているうちに見えてきたものがあったので、論文を書くほど入れ込みました。
その結果、研究成果を大学の授業で学生たちに披露することもできるようになりました。
そんな私のコレクションの第1回目は絵ハガキを取り上げます。
世の中には絵ハガキを集めている人がたくさんいると思います。
小さいので集めやすいのが利点です。
単価がかつては100円でしたが、最近では200円くらいするので、安いとは言えなくなってきました。
私の場合、印刷物が好きなので元々は大判の複製画をたくさん集めていたのですが、
大判の複製画は保管が大変なのと日本国内ではあまり扱っていないので、
途中から絵ハガキに移行しました。
ただし私の場合はコレクションが目的なので、飾ったりはしません。
一定期間飾るとかなり退色してしまうので、もっぱらハガキ用のクリアーファイルに納めて、
たまにそれを開いては悦に入っている次第です。
絵ハガキのファイルは私にとっては世界一充実したコレクションを誇る『空想美術館』なのです。
ですから質を高めるために、同じ絵でもより色が原作に近い絵ハガキが手に入った時は入れ替えて、
データの更新を行っています。
元の絵ハガキは折を見て大学院生などにプレゼントしています。
集めているのは好きな作家のものですが、
何しろ守備範囲が広いので、たいがいの作家のものは揃っています。
ただしそれらは今回取り上げません。
テーマが「珍しい作家編」ですから、市販されている画集などがあまりなく、
画像自体があまり知られていない作家を取り上げ、
コレクションしている絵ハガキの中から厳選した5枚を紹介していきます。
最も今どきはネットで検索すれば画像自体は出てくるでしょうが、
それが単体の印刷物になっていることが重要なのです。
絵ハガキは映像ではなく実物なのです。
1人目はクヴィント・ブッフホルツという1957年生まれのドイツの画家・イラストレーターです。
ブッフホルツとの出会いは1994年に日本で刊行された絵本『おやすみくまくん』でした。
精緻な絵でありながら独特の柔らかい雰囲気に魅せられ、すぐに彼の絵のファンになりました。
その後東京の大手書店で彼の大判カレンダーを見つけ、即購入。
だいぶ作風が分かってきたところで、
岡山駅地下街にあった輸入雑貨店の絵ハガキスタンドに彼の絵がたくさん並んでいるのを偶然発見。
この時の喜びは今も忘れません。
求めているものに出会えるように神様が導いてくれたと思っています。
これでブッフホルツの絵ハガキ・コレクションは基礎ができ、
後はドイツに行った時に寄った書店などで未知の絵ハガキを補充していくうちに、
現在の54枚に達しました。
ただこの絵ハガキ、厚手のしっかりしたものですが、
どれも余白がないので画像がハガキサイズにトリミングされていると思われます。
絵のイメージは問題なく伝わるのですが、一応お断りしておきます。
ブッフホルツの1枚目は《五重奏》という作品です。(写真1)
この絵を見て、私の何点かの絵を思い浮かべた人がいるかもしれません。
海上の岩場の上での危ういバランス設定という発想は、私も羊の絵に取り入れさせてもらいました。
私の場合は島をゴリラの頭部に変え、板の上に乗るのは羊たちですが、
この絵との出会いから生まれた作品群です。
ブッフホルツは板の上にクインテットの楽団を乗せています。
彼らが演奏している楽曲が気になりますが、ドビュッシーの交響詩『海』あたりでしょうか。
水平線に対して左側にやや傾けた板の角度が絵に絶妙な緊張感と動きを与えています。
危険な状況の中で音楽を奏でるというギャップが面白いですね。
2枚目は《夜の見世物》という作品です。(写真2)
夕暮れ時、満月の綱渡りという世紀の天体ショーを眺めに人が集まってきています。
月は左から右へゆっくりと移動しているように見えます。
ロープが月の重みで少したわんでいます。
夕闇の空の色調表現が絶妙ですが、
これは凹凸のある紙の上に一度塗った色をナイフのようなもので削る技法から生まれたものです。
3枚目も満月を使ったトリックです。(写真3)
題名は《からかう人》。
ビルの屋上で煙突の上に乗り、恋人に満月に乗るパフォーマンスを披露している若者を描いています。
前作と同様、絵だからこそできるトリックですが、
構図や色調にリアリティを感じさせるものがあるので、絵に説得力が生まれています。
他愛もない演出と言ってしまえばそれまでですが、
ちょっと不思議な詩的なイメージこそがブッフホルツの持ち味なのです。
4枚目は壊れた桟橋の上に佇む一人の男を描いたモノトーンの作品です。(写真4)
桟橋と言えば船着き場ですが、出発を前にこの男の退路は断たれたということでしょうか。
題名は《ある朝》です。
果たしてこの男が待つ船はやってくるのか。
眼前の海の広大さは希望が絶望に変わってしまったような印象を与えます。
これほどの孤立感を描いた絵は珍しいのではないでしょうか。
5枚目は人の出てこない珍しい作品です。(写真5)
部屋の一角の窓が開放され強い外光が感じられます。
窓の下の床にはテレビ・モニターが置かれ、映像は何も映っていませんが電光が放たれています。
つまり生きています。
皆さんはこの絵からどんなメッセージを受け取るのでしょうか。
私はまず自然の光と人工の光の組み合わせに衝撃を受けました。
上の窓は広い現実世界に連なる装置ですが、
テレビ・モニターももう一つの架空世界に開かれた窓です。
上の窓の世界には神が存在していると感じますが、テレビ・モニターの中にも神はいるのでしょうか。
シンプルな構図の中に深い哲学が秘められているようです。
二人目はこれもドイツの画家ハンス・ワーナー・サームです。
1943年に生まれ、2020年に没しているようです。
サームとの出会いも前出の輸入雑貨店の絵ハガキスタンドでした。
ブッフホルツを集めている時に偶然発見したのです。
光溢れる壮大な空間が微細に描写され、神秘的な雰囲気が漂っているのがサームの絵画世界ですが、
それは私の好きなスピルバーグのSF世界のようでもあり、
19世紀後半にアメリカで生まれたハドソン・リバー派の代表画家
コールやチャーチやビアシュタッドの絵を思い出させるものでもあります。
ハドソン・リバー派も日本ではあまり知られていませんが、
壮大な自然の在り様に神の存在を感じるような姿勢は私には共感できるところです。
収集した絵ハガキは現在40枚ですが、
大手書店で後に画集を2冊手に入れることができ、資料としては少し揃っています。
ただしドイツ語なので全く文が読めません(笑)。
1枚目は《避難》という作品です。(写真6)
圧巻の水量が落下する大瀑布の頂に岩塊があり、よく見るとその上に高層ビル群が建っています。
ここに最後の人類が暮らしているのでしょうか。
大自然の中で取り残されたわずかな居住区が大瀑布の上とは、何ともスリルがありすぎでしょう。
しかし後方から光が差しているので希望はありそうです。
2枚目は《亡命》という作品です。(写真7)
窓から光が自然の一角を照らし出しています。
周囲の山々を囲うのは高い石積みの壁ですから、
この自然は巨大な部屋のようなものの中に隔離されているようです。
人類はこの場所に難を逃れて亡命してきたということでしょうか。
しかしこの光もまた希望を感じさせます。
隔離されたこの場所には戦争も大気汚染もきっとないと思いたいですね。
3枚目は《出発》という作品ですが、これもまた希望が感じられます。(写真8)
手前に切り立った崖があり、ここから人類は新たな楽園を目指して旅立ったのでしょう。
空にはたくさんの透明な球体が浮かんでいますが、よく見るとその球体に人がぶら下がっています。
この球体はどうやら熱気球のようなものらしく、空中へと人類を運んでくれるようです。
この絵はとりわけ光の効果が素晴らしく、
神の導きで人類が新天地へと向かうような雰囲気を生んでいます。
4枚目は《現地での予約》という作品です。(写真9)
魅力的な絵ですが、絵の内容も題名も謎です。
描かれている場面は、巨大な穴から強い光が放射され、
穴の周囲にいる人の群れは長い棒のようなものを持っています。
この棒のようなものが何をするための道具なのかが分からないのです。
しかしサームは絶景を描くのが上手いですね。
それが非日常的であればあるほど、壮大であればあるほど私たちの精神が解放されるような気がします。
そして描かれる人間が対照的に微小であるのもいいですね。
5枚目は《地下都市》という作品です。(写真10)
これまでのような光溢れる神秘的な世界ではなく、
穏やかな光に照らされた山並みや丘、平原が描かれています。
仕掛けはその平原の下にビル街が隠されていることです。
これはどういう意味でしょうか。
長い年月の間に地下に埋もれてしまった都市なのか、
地上に住めなくなったため、あえて地下に建設した都市なのか。
前者ならば文明の末路の姿であり、後者ならば文明の生き残り戦略です。
このように両義的な解釈ができる絵は、
サームが現代文明についてどんなことを考えているのかが想像でき、面白いですね。
三人目はまたまたドイツの作家ミヒャエル・ゾ―ヴァです。
ゾーヴァは前二者に比べると日本での知名度はかなりあります。
1945年生まれで、画家・イラストレーターとして絵本や画集もたくさん出版していますし、
個展が日本で開かれたこともあります。
絵の特徴はかなり暗い色調と細密描写にあり、
それはドイツを代表するアルトドルファーやフリードリヒらの絵画にも通じるものです。
またその世界にはブラックユーモアが充満していて、
時には悪意さえも感じさせる表現は彼の作品をより印象深いものにしています。
私がコレクションした彼の絵ハガキは20枚ほどと少ないのですが、5枚に絞るのは結構大変でした。
1枚目は《漂流》です。(写真11)
《漂流》は荒海に浮かぶ一艘のボートを描いていますが、ボートに乗っているのは4匹の犬なのです。
拡大して見るとどの犬も不安げな表情をしています。
この絵の物語を私は知りませんからあくまでも想像ですが、
客観的に見て状況はかなり絶望的です。
ゾーヴァはこの絵を描くに当たって、北斎の《神奈川沖浪裏》を参照したのかもしれません。
2枚目はおそらくは明け方の郊外の景色を描いたと思われる作で、
一軒の家の前に6匹の猫たちが並んでいます。(写真12)
ドアが開くのを待っているかのようです。
皆さん彼らは何の順番待ちをしているのか分かりますか?
答えはこの絵の題名にあります。
家に掲げられた看板の文字《猫の皮剥ぎ屋ナウマン》がこの絵の題名なのです。
何と猫たちは自らの皮を剥いでもらうために並んでいるのです。
何というブラックジョークでしょう!
3枚目はベックリンの有名な《死の島》のパロディ作です。(写真13)
19世紀後半にドイツで活躍したベックリンですが、
代表作の《死の島》は複製画が多くの家庭に飾られるほどの人気でした。
その結果、ベックリンは顧客の求めに応じて都合5点の類似作を描くこととなるのです。
そこに目を付けたゾーヴァは《死の島》の第6ヴァージョンと題してこの絵を描きました。
下敷きにしたのはベックリンの第1作で何処を変えたかというと、
死の島に到着した小舟が沈没しかけていて、白装束の人物が海に堕ちそうになっているのです。
《死の島》の売りは尋常ではない静寂さにありますが、これでは静寂どころではありません。
まったく雰囲気のぶち壊しです。
古典的な生真面目な描写でおふざけをやるのがゾーヴァ流なのです。
4枚目はマンガ的な作《銀河》です。(写真14)
星空に浮かぶクレーターだらけの小惑星に柔らかい光が当たり、
右側が昼の世界、左側が夜の世界のようです。
昼の世界では腹の出た中年男が昼間から酒をあおっています。
夜の世界では太った中年女性がそれに腹を立てて怒っています。
手に持っているのは好物の肉食品でしょうか。
しかしその怒りは時空が真反対の世界には届きそうにありません。
この二人はおそらく夫婦でしょうが、
意思疎通のできない不毛の関係を見事に視覚化した一枚になっています。
5枚目はとんでもない内容の絵です。(写真15)
題名は《麗しのアリイとその妻》という美しい夫婦の肖像画をイメージさせるものですが、
実際は並木道の風景画です。
濃い緑の色調が絵に深みを与えています。
しかしよく見ると、それぞれの並木のそばには人が居て何かをしています。
皆さん気付きましたか?
彼らはおしっこをしているんです!
何としゃがんで用を足しているご婦人もいます。
こんな大胆な絵を私は他に知りません。
ゾーヴァの蛮勇には脱帽です。
今回のラストを飾るのは1946年生まれのフランスのイラストレーター、
ミシェル・グランジェです。
グランジェが頭角を現したのは風刺の効いた文字なしポスターの世界です。
私がグランジェに最初に出会ったのも中学校美術の教科書に載っていたポスターでした。
その頃はちょうど教科書の著者としての仕事をしていたので、
ポスターのページを創る上で大きな刺激になりました。
グランジェの魅力は何と言っても風刺精神に基づく卓越した発想と
シンプルでインパクトのある構成、
ダークトーンの色調にあります。
それらが「一度見たら忘れられない」という印象を生むのです。
現在までにコレクションできたのは24枚と少ないのですが、いずれも秀作揃いです。
1枚目は《巨大なゴミ捨て場》です。(写真16)
地球の下部の蓋が開き、そこから大量のごみが排出されている場面です。
地球上に生きる生命体でごみを排出するのは人間だけですから、
それだけ地球に負担をかけているわけで、申し訳ない気持ちになります。
現在も温暖化などで地球に負荷をかけ続けている人間は、
地球環境にとっては癌細胞のようなものかもしれません。
2枚目は《第三世界》です。(写真17)
この作が作られた1976年はいわゆる冷戦の最中で、
アメリカを中心とする西側諸国(第一世界)と
ソ連を中心とする東側諸国(第二世界)が緊張関係にありました。
そしてそこに属さないアジア、インド、アフリカなどの第三世界が狙われたのです。
この絵ではどうやらアフリカが食いつぶされようとしています。
その状況をグランジェが絵に表すとこのようになるわけですが、何とも恐ろしく醜い光景です。
3枚目は《デザート》です。(写真18)
ステーキナイフがオレンジを今まさにカットしようという場面ですが、
皮を剥かれたオレンジはその模様から地球だと分かります。
地球の脆弱さを表すのにオレンジに置き換えるという手法は秀逸です。
地球を危機に陥れているのは人間の日常的な文明活動にあるという矛盾を強烈に感じさせる一枚です。
4枚目は《インスタント》です。(写真19)
描かれているのは引きちぎられた映画のフィルムです。
手前に群像が立っているので、このフィルムが大きいものだと分かります。
そして引きちぎられた断面をよく見ると、
シルエットが都会の高層ビル群になっていることに気付きます。
グランジェはこの作で何を伝えようとしたのでしょうか。
もしかしたら私たちの築いた近代文明も
映画のワンシーンのように一過性の寿命の短いものだと言っているのでしょうか。
悠久の自然の営みに比べれば効率を重視する近代都市建設はまさに
「即席(インスタント)」に過ぎないものかもしれません。
5枚目は《働くか働かないか》です。(写真20)
これは最たる謎かけ作品です。
左手が持っているのはヒートンのような形をした変形ボルトです。
その下にナットが描かれています。
この二つを合体させたところで何の役に立つのかは分かりません。
それでこの題名になったのでしょう。
その疑問をダメ押しするようにこの二つの形がクエスチョン・マークになっているわけです。
日頃から色々な疑問を抱きながら生きていると、こんな発想も生まれるのでしょう。
次回は珍しい作家編の②をお送りします。