
第71回『 マイ・コレクション/ 絵ハガキ その2〜日本の作家編 ①〜』
[戻るボタン]で元のページに戻れます。
厳しい寒波に見舞われた2月が過ぎ、3月になりました。
寒さは和らぐでしょうが今度は花粉との闘いです。
毎年のことながら憂鬱な季節です。
私の場合は医者から処方された薬さえきちんと飲んでおけば、軽めの症状で収まるので、
花粉症との付き合い方は見についています。何しろ50年来の「古い友」ですからね。
「マイ・コレクション」のブログ、楽しんでいただけているでしょうか。
書いている私の方は絵ハガキファイルを引っ張り出して、
テーマに合った作家と作品を選ぶのが楽しい時間になっています。
今月と来月は日本の作家を取り上げます。
西洋の作家とはだいぶ趣が異なるので、違いを楽しんでください。
最初に取り上げるのはUKB52です。
これは私のある鑑賞授業のタイトル「UKB52って何?」から来ています。
アイドルグループのAKB48をもじった命名で、
実は平等院鳳凰堂の52体から成る集団仏像彫刻のことです。
正式名称が「雲中供養菩薩(うんちゅうくようぼさつ)」なので、私はUKB52としたのです。
この仕掛けは見事に当たりました。
仏像鑑賞に興味の薄い受講生も、このタイトルには興味を惹かれるようで、
実際授業後に雲中供養菩薩を目的に平等院鳳凰堂を訪れる受講生は少なくありません。
平等院鳳凰堂と言えば10円玉の裏にデザインされたその建物と本尊の定朝作阿弥陀如来坐像が有名で、
ツアーで訪れると、この二つの国宝の解説はしてくれますが、
UKB52には触れずじまいということがよくあります。
実はUKB52も国宝ですし、
小型の集合作品というだけで造形美から言っても何ら劣る要素はありません。
UKB52は本堂の北側と南側にそれぞれ26体ずつ設置されています。(写真1)
言わば阿弥陀如来坐像の応援部隊です。
作られた目的が、
死後の世界である阿弥陀浄土ってこんなに楽しい処だよって信者にイメージさせることなので、
優しい表情の菩薩が雲に乗り、祈ったり、踊ったり、楽器を奏でたりしていて、
厳粛な仏像にはない親しみやすさが魅力なのです。
それを集団で表したのがユニークなところで、
平安時代にも現代のアイドルの集団売り出し戦略と通じるものがあったのかと思い、
取り上げたわけです。
授業ではUKB52の中から自分の「推し」を発見させたり、
UKB52の「センター」と思われる仏像を紹介したりもしています。
そこで絵ハガキですが、私の集めたUKB52の中から「推し」の5体を紹介しましょう。
1枚目は《北7号》です。(写真2)
装飾的な雲に乗り合掌している姿から、ひたすら祈りを捧げているのでしょう。
菩薩が雲の前方に座っているので、雲も前方にゆったりと進んでいくような静かな動きが感じられます。
菩薩の静と雲の動が見事に調和し、仏の確かな存在を感じさせます。
2枚目は《南2号》です。(写真3)
片膝を立てたポーズで天蓋を両手で捧げ持っています。
表情は穏やかで、首を傾けたところが愛らしい印象を生んでいます。
豊かな動勢にもかかわらず、全体をバランスよくまとめています。
3枚目は《南3号》です。(写真4)
この像も片膝立ちのポーズですが、
よく見ると両手で輪になった花飾りのような物を持ち上げようとしています。
顔を上げ視線は遠くを見ているようです。慈悲深い顔には木目模様が鮮明に現れ、
長い年月の経過を感じさせます。
4枚目は《南17号》です。(写真5)
この像も片膝たちのポーズで、左手に蓮の花を持ち、右手で生命を吹き込んでいるような姿です。
私はミュシャの授業の最後に大胆な仮説として、
ミュシャの女性像と日本の仏像とのポーズや雰囲気の共通性を指摘して、
ミュシャの造形への仏像の影響を匂わせていますが、
この像とミュシャの『四芸術』連作の内の《絵画》とがよく似ているので、
興味のある方は調べてみて下さい。
5枚目は《南20号》です。(写真6)
この像は雲の上で左足を上げ、バランスを取りながら優雅に舞っています。
その自然な動勢はまさに仏に生命が宿っているような錯覚に陥らせます。
腕や体にまとわりつく天衣が流れるような優美さを増幅しています。
ちなみにこの像にもよく似たミュシャの女性像があります。
UKB52いかがでしたか?
興味が出た方はぜひ平等院鳳凰堂を訪れてみて下さい。
併設されたミュージアムでは26体の本物のUKBがガラスケース越しですが、間近で見られます。
つまり本堂に設置されているUKBの半数は、実は精巧なレプリカなのです。
次に取り上げるのは江戸時代中期に活躍した伊藤若冲の『動植綵絵』(どうしょくさいえ)です。
若冲は奇想の画家として一部の人にのみ知られていた絵師ですが、
2000年以降すっかりメジャーになりました。
ですから若冲の絵ハガキを収集することは難しくないのですが、
代表作の『動植綵絵』三十幅すべてを集めることは難しい状況でした。
『動植綵絵』の一部が展示されることは時折あったのですが、
三十幅が一堂に会する機会はなかったからです。
それが2007年に京都相国寺の承天閣美術館で開かれた『若冲展』で、
《釈迦三尊像》三幅と合わせて『動植綵絵』三十幅が一堂に公開されたのです。
この時の気分の高揚と期待の高まりは忘れられません。
ところが夢にまで見たすべての『動植綵絵』との対面が現実に叶ってしまうと、
不思議なことに達成感とは別に空虚感に襲われたのです。
どの作品も素晴らしかったのですが、
すべてを見てしまったことで、これ以上想像する余地がないことや
これからの目標がなくなったことに気付いたからでしょうか。
しかしこの機会に『動植綵絵』三十幅の絵ハガキセットを買えたことは、
コレクターとしては大満足でした。
『動植綵絵』三十幅の絵ハガキの中から私が選んだのは以下の5枚です。
1枚目は若冲の代名詞《群鶏図》です。(写真7)
私が見知った最初の若冲作品ですから、今でも強烈な印象が残っています。
しかし題材は若冲が庭で飼っていた身近な鶏で、鳳凰や龍などの派手なキャラクターではありません。
それなのにこれだけの迫力が出せるということが若冲の優れた画力を物語っています。
描かれているのは赤、白、茶、黒で彩られた鶏たちです。
それぞれが異なるポーズをして自己主張しています。
数は13羽、私のラッキーナンバーと重なるところもお気に入りの理由です。
2枚目は《老松白鶏図》(ろうしょうはっけいず)です。(写真8)
こちらは一般的な白い鶏をつがいで描いています。
背景の松との明度対比で鶏の白い姿が際立っています。
鶏は裏彩色で金色を施されているので、立体感と豪華さが生まれています。
普通の鶏が若冲の手にかかるとここまで神々しくなることに驚きを隠せません。
白い鶏と言えば白色レグホンが有名です。
白色レグホンは産卵用の鶏で、私の父親が養鶏業を営んでいたので、幼少時から親しんできました。
そんなところからこの作が好きなのかもしれません。
3枚目は《牡丹小禽図》(ぼたんしょうきんず)です。(写真9)
『動植綵絵』三十幅の中で最も濃密な一枚です。
画面にはびっしりと牡丹の花が描かれ、花の生命力が充満して息苦しいほどです。
右上のわずかにあいた空間には小鳥が配され、首をもたげています。
よく見るとその少し上に虻が飛んでいて、小鳥は餌として狙っているのです。
さりげなく仕掛けられた自然のドラマに若冲のユーモアが感じられます。
4枚目はちょっと変わった一枚で、《池辺群虫図》(ちへんぐんちゅうず)です。(写真10)
ここには約50種類もの「虫」が描かれています。
蛇や蜥蜴や蛙もいますが、江戸時代にはそれらも「虫」の仲間だったのです。
生物を人間と獣、鳥、魚に分けて、それら以外の小動物は皆「虫」に分類していたのです。
ですから蛇や蜥蜴や蛙にも虫偏が付いているのです。
《池辺群虫図》に描かれているのは、言わば虫たちの楽園です。
このような自然に対する見方は人間中心主義の西洋にはないもので、
「虫」を愛でる心は日本人の、そして日本美術の特性としてこれからも大事にしたいものです。
5枚目は《菊花流水図》(きっかりゅうすいず)です。(写真11)
何という大胆な空間構成でしょう。
背景に蛇行する河が描かれ、大輪の白い菊花が空中に浮遊し、
何処から伸びてきたのか木の枝がしだれ、二羽の小鳥が配されています。
こんな自由な絵画空間が江戸時代に創造されていたのです。
『動植綵絵』に深みを与えている一枚と言えるでしょう。
ところで画面上部の白い菊の花は何かに似ていませんか。
私にはどうしても皿に盛られた高級料理のふぐ刺しに見えてしまうのですが。
三人目に取り上げるのは江戸琳派の創始者・酒井抱一です。
琳派の絵師の中でも抱一は宗達や光琳ほどは知られていませんが、
抱一ほど日本の四季の描写に優れた人はいません。
そこが宗達や光琳にはない抱一の強みなのです。
抱一は日本の四季を六曲や二曲の一双屏風で一つながりの絵としても表していますが、
今回紹介するのは出光美術館所蔵の『十二カ月花鳥図』貼付屏風で、
こちらは12枚の月ごとの絵を六曲一双屏風に再構成したもので、
各扇が単独作品としても見られるものです。(写真12)
『十二カ月花鳥図』は人気があったようでいくつかのヴァージョンが存在します。
それぞれの微妙な違いを味わうのも一興です。
また前回紹介したグラッセの『月歴画』と比較するのも面白いですね。
グラッセの場合は四季の変化がテーマでも、画面上の主役は女性でしたが、
抱一の四季図では「花鳥」(かちょう)と言って、季節の花と関連する鳥や虫などしか登場しません。
西洋人と日本人では本当に自然環境に対する意識が違うことが、美術作品を通して分かるのです。
では十二カ月の絵ハガキの中から私が選んだ5枚を紹介しましょう。
1枚目は《三月》です。(写真13)
主役は満開の桜です。
縦長の構図に開花した桜の樹の一部をバランス良く配置しています。
桜に組み合わせる小禽(しょうきん)としては瑠璃鳥を2羽添えています。
この組み合わせは抱一も気に入っていたようで、掛け軸の単独作品でも用いています。
構図にも色彩にも強い要素はありませんが、全体に穏やかな春の訪れが感じられます。
2枚目は《六月》です。(写真14)
六月の花は紫陽花です。
縦長の画面の下部に紫陽花を配し、
その紫陽花の中から白い花を咲かせる枝が伸びて上昇感を出しています。
上の空間には蜻蛉が飛んでいます。
余白を十分に生かした画面構成からはゆったりとした空間が感じられ、
濃密空間の若冲とは対照的です。
3枚目は《七月》です。(写真15)
盛夏に咲く大輪の向日葵と朝顔が組み合わさっています。
向日葵は私も大好きな花ですからたくさん絵にしました。
向日葵で難しいのは大輪の花と葉のバランスで、どうしても上が重くなりがちです。
この絵でも不安定になりがちな向日葵の下部を補うために朝顔を配したのだと思います。
4枚目は十月です。(写真16)
十月の主役は柿の実です。
柿の幹を斜めに配し、オレンジ色の実を点在させて画面に活気を与えています。
柿の木の中央には三羽のメジロが鎮座し、細枝にとまるもう一羽のメジロを眺めています。
メジロが加わることで、ユーモラスな空間に変わるのです。
秋の長閑な1日を感じさせる1枚です。
5枚目は十二月です。(写真17)
水辺の情景で河岸には雪を被った梅の木が描かれています。
枝先には早くもピンク色に膨らんだ蕾を付けています。
水際には鴛鴦のつがいが仲良く並んでいます。
水面を見つめて小魚が近くに来るのを待っているのでしょうか。
冬の厳しさの中にも生命の温かさを織り込めるのが抱一の優しい詩情なのです。
四人目は浮世絵師の葛飾北斎で、
取り上げるのは彼がシーボルトの依頼で描いたと言われる『日本風俗図』です。
有名な『富嶽三十六景』(ふがくさんじゅうろっけい)は多色摺りの木版画ですが、こちらは肉筆画です。
前者が複数枚存在するのに対し、こちらは一品ものです。
しかも注文画ですから画料はかなりよかったのではないかと推測します。
オランダの医師で商館長だったシーボルトは、
1828年の帰国時に御禁制の日本地図を持ち出そうとしましたが嵐で船が座礁、
出港が遅れたために発覚した「シーボルト事件」で国外追放になった人物です。
シーボルトと北斎の接点としては、
シーボルトの江戸参府の折にオランダ人の定宿であった長崎屋で出会った可能性が考えられます。
写真が市販化されるのは1839年のことですから、
当時の日本風俗を記録しようとすればやはり絵だったのでしょう。
そこで絵師として北斎が選ばれたわけです。
シーボルトが持ち帰った北斎関連の『日本風俗図』は10枚。
すべてが北斎の単独作品というわけではなく、有能な弟子や娘の応為(おうい)の協力も考えられます。
原画はオランダ製の画用紙に描かれていて、サイズはどれも28×40㎝ほどです。
今回はその中から5枚を絵ハガキで紹介します。
1枚目は《漁村図(初夏の浜辺)》です。(写真18)
海岸で夫婦が網を編んでいる手前で、
5人の童子が大きな碇(いかり)を遊具にして腰掛けたりぶら下がったりしています。
その奥では船の底を焼いて防腐作業をしている人もいます。
漁村の何気ない日常を描いていますが、
大きな碇と後方の舟とが斜めに交錯する組み合わせや網の垂直に伸びる動勢などに、
造形性にこだわる北斎の特徴がよく出ています。
2枚目は《秋祭図》です。(写真19)
稲荷の縁日を祝う祭りの様子を描いた作で、
主役は河のほとりの道を、のぼりを立て太鼓を鳴らして練り歩く6人の童子たちです。
周囲には積みわらや赤子を背負う母親、
河の流れに布を晒す女性、
茶屋でくつろぐ男性客なども描かれています。
背景には低い視点で描かれた杉林と秋晴れの高い空が描かれ、
風景画としても見られる構図になっています。
3枚目は《驟雨図》(しゅううず)です。(写真20)
街道を行き交う人々を襲った突然の激しい雨。
頭を傘や蓑や着物で覆い、右に左に人々が逃げ惑う様子が臨場感を持って描かれています。
このような劇的な場面の描写は北斎の独壇場です。
風に煽られる樹々の姿も、
どす黒く豹変した空の表情も、
稲光の不気味な輝きも場面の激しさを生中継しているようなリアルさです。
4枚目は《洗馬図》です。(写真21)
画面が二つに割れてしまう危険をあえて冒した構図です。
中央に2本立つ厩の柱がなければ、この絵は完全に左右に分かれてしまったところです。
画面左は馬に餌をやっている場面で、
右は馬の体を洗っている場面です。
左側の人物の顔と右側の人物のポーズや馬のポーズは北斎が好む独特のもので、
個性が強く出ています。
5枚目は《商家図(節季の商家)》です。(写真22)
師走の決算期を迎えた商家の様子が描かれています。
手前に座り、必死でそろばんをはじいているのはこの店の番頭さんでしょう。
その姿を主人と妻が見守っています。
主人を囲むように衝立が立てられ、主人は寒さをしのぐためかなり着込んでいます。
着物の柄や奥の引き出しの木目などの精緻な表現から、
この絵の作者はかなりの描写力の持ち主と見られ、
作者に関しては細密描写と陰影表現を得意とした北斎の娘・応為(おうい)の可能性が濃厚です。
応為は近年その画業が知られるにつれ評価が高まっている絵師で、
北斎晩年の肉筆画制作においては、
応為の関与はかなり大きいと見られています。
葛飾応為という有能な絵師を知ってもらうためにこの絵を入れた次第です。