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第73回『 マイ・コレクション/ 絵ハガキ その5 〜著しく横長のもの・西洋編〜

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風香る5月がやってきました。
5月は1年の中でも10月に次いで好きな季節です。
ですから毎年5月の前半に私が主宰する一陽会岡山グループの展覧会
『陽のあたる岡』を開催しているのです。

今年も5月13日(火)から18日(日)まで天神山文化プラザの第3、第4展示室で行います。
力作ぞろいですので、ご高覧いただければ幸いです。

4月は寒暖差が大きく衣服の調節に難儀しましたが、3月と違い我が家の2階のベランダから望む景色が日に日に緑色に被われていく様子が印象的で、その変化を日々眺めていると、何か自然からエネルギーをもらっているような気がしました。

「マイ・コレクション」の5回目は「著しく横長のもの」を取り上げます。

絵ハガキは普通15×10㎝程度のサイズですが、
絵の中にはその3対2という縦横比には収めにくいものもあります。
正方形の絵や著しく横長、縦長の絵がそれです。
それらを無理して収めると余白が大きく絵が小さいレイアウトになってしまいます。

そこで考え出されたのがそれらに合わせた変形判の絵ハガキです。
絵に合わせるのでサイズはまちまちです。
コレクターとしては整理しづらいのですが、魅力的な絵が多いのでつい買ってしまうのです(笑)。

楽しみ方のひとつのポイントは著しく横長な画面特有の構図法です。
作家がどのような構図法を用いているかを皆さんもじっくり味わってください。
それでは「著しく横長のもの」を紹介していきましょう。

1枚目はボッティチェリの《ヴィーナスとマルス》です。(写真1)

写真1 ボッティチェリ 《ヴィーナスとマルス》

この絵を見て、皆さんは描かれているのはどのような情景だと思われますか。
横長の画面いっぱいにヴィーナスとマルスが横たわっています。
毅然としている愛の女神ヴィーナスに対しマルスは軍神ですが、
この場面ではほぼ全裸で無防備に眠っています。
この対比から一般的には戦争に対する愛の勝利が主題とされています。
二人の周りには子どものサテュロスがマルスの兜や鎧や槍で遊んでいることからも、平和な情景と言えます。
ほら貝を吹いてマルスを起こそうとしている者もいます。
しかしヴィーナスとマルスは愛人関係でもあるのです。
ウルカヌスの妻であるヴィーナスはマルスと浮気をしたことがあります。
二人にはそんな経緯があるので、この場面も情事の後のようにも見えてしまうのです。
このように主題には謎が残りますが、
正確な線描に淡い陰影表現というボッティチェリの特徴がよく出ている作品です。


2枚目はボッティチェリと同時代のイタリアの画家
ピエロ・ディ・コジモの《プロクリスの死》です。(写真2)

写真2 コジモ 《プロクリスの死》

コジモは日本ではあまり知られていませんが、
想像力豊かな画家として私の中ではかなり評価の高い画家です。

この絵は美女として名高いアテナイの王女プロクリスの死を描いた一種の神話画ですが、
物語の背景とは別に謎めいた雰囲気が特色です。
プロクリスは夫の浮気を疑い、狩りをする夫を物陰に隠れて尾行したところ、
獲物と誤って夫が投げた槍で死んでしまうのです。
場面は傷つき横たわるプロクリスを半獣身のサテュロスが発見し、哀悼しているところです。
その反対側ではプロクリスの飼い犬が悲しげに見つめています。
背景には広大な水辺が広がり、3匹の犬や水鳥も描かれています。
サテュロスとプロクリスと犬が囲う前景から奥の開けた空間を覗くという、
著しく横長の画面を生かした構図ですが、
ボッティチェリの《ヴィーナスとマルス》のような全体が人で埋められた構図とはまさに好対照です。

3枚目はゴーギャンの《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか》です。(写真3)

写真3 ゴーギャン 《我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか》

この絵の実作は縦139㎝、横375㎝の大作ですが、
当時自殺を考えていたゴーギャンが、精魂込めて1か月で描き上げた作と言われています。
題名からも分かるように主題は哲学的で、過去・現在・未来の人類の歩みそのものをテーマにしています。
画面は右から左へと流れる構成です。
右側が人生の始まりで、座る三人の女性に加え眠る子どもも描かれています。
続く場面は成人期で、この絵で最も目立つ女性が登場しています。
りんごを採るその姿はエデンの園での原罪を思い起こさせます。
こうして知恵を身につけた人間は、豊かな自然を捨て文明化の道を辿るのです。
つまり人間は自然の中では生きられない存在なのです。
左側は人生の終焉期です。左端に頭を抱えた人物が描かれていますが、これは「老い」を表しています。
この絵は世紀末の1897年に描かれていますが、
ベル・エポック(良き時代)を謳歌するパリの喧騒を横目に、
ゴーギャンは未開のタヒチの地で一人苦悩しながら、人生を見つめていたのです。

4枚目は有名なピカソの《ゲルニカ》です。(写真4)

写真4 ピカソ 《ゲルニカ》

《ゲルニカ》の実作は縦351㎝、横781㎝の超大作です。
ナチスによるスペインの古都ゲルニカへの無差別爆撃にピカソが抗議して制作したもので、
約1か月で描き上げ、1937年のパリ万博で一般公開されました。
無彩色で描かれた珍しい作品で、
一説にはパリでこの事件を新聞報道で知ったピカソが見た写真が白黒であったためとも言われています。
室内を舞台とした画面には爆撃に逃げ惑う人間や動物、
死んだ子どもを抱いて嘆き悲しむ母親などが描かれています。
それらが右から左へと流れる激しいムーブマン(動勢)と、中央に構築された大きな三角形の安定感の中に納まっています。
戦争画というと写実的な表現が多いのですが、このような抽象的な白黒表現で戦争の恐怖と悲惨を伝えることができるのがピカソのピカソたる所以でしょう。

5枚目は同じスペインの画家ダリの《風の宮殿》です。(写真5)

写真5 ダリ フィゲラス・ダリ美術館天井画

フィゲラスにあるダリ劇場美術館の天井画の中央部分で、実作は長辺が11.5mもあります。
この絵ハガキを入手したのは24歳の時の2度目の海外研修旅行の時です。
まだダリ劇場美術館が開館して2年目だったこともあり、意外に空いていて日本人は私たち夫婦だけでした。ダリの影響を一番強く受けていた頃なので、念願かなっての来館でした。
ちなみに近年は日本人観光客が入場待ちの列を作っているそうです。
描かれているのは天上世界に向かって上昇するダリとガラですが、何と言っても見せ所は強調された二人の足の裏でしょう。
この足に魅了された私はバラバラになった自由の女神を描いた《悠久》という絵に引用したほどです。
この頃のダリは原子核的神秘主義を唱え、カトリックに帰依して超現実的な宗教画の大作を盛んに描いていた時期で、シュルレアリスム時代よりも自由さが感じられて、私はダリの宗教画を好ましく思っています。

6枚目はシム・シメールの《最後の抵抗》です。(写真6)

写真6 シメール《最後の抵抗》.JPG

シム・シメールは地球上で暮らす動物たちに迫る様々な危機を、
独自の発想で印象的に描き出す作家で、
そのメッセージ性の強い画風は1990年代に日本でもちょっとしたブームが起こりました。
シメールが描く動物で私が好きなのはアフリカゾウです。
大きな体と立派な牙は生活環境の悪化に対して異議申し立てをするのに十分な迫力を備えています。
この絵にも主役として登場しているゾウの姿は他のいくつかの作品にも使われているので、
おそらくシメールのお気に入りなのでしょう。
巨大な月を背景にキリンやゾウが集まっています。
よく見ると上空には月ではなく地球のような星が浮かんでいます。
動物たちを遠くから見守っている星は、過去の地球なのか未来の地球なのかと考えさせられる作品です。


7枚目もシム・シメールの作品《目覚めるアフリカ》です。(写真7)

写真7 シメール《目覚めるアフリカ》

この絵の主役は手前の動物たちではなく、背景に浮かぶ巨大な地球です。
大気に被われたその姿からは、
自然豊かな環境の中で多くの生命を育んでいたかつての地球が思い浮かべられます。
現状はアフリカの大地でさえ野生の動物たちは保護しなければ生きていけない危機的状況です。
絶滅危惧種の数は日々増え続けていて、
一見平和に見えるアフリカの動物たちの世界にも死の足音は確実に忍び寄っているのです。
そしてそれはいずれ人間界にも訪れるのでしょう。
私たちはシメールの絵が発するメッセージを決して見過ごしてはいけないのです。

次回は、絵ハガキ・6 〜著しく横長のもの・日本編〜に続きます。

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