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第74回『 マイ・コレクション/ 絵ハガキ その6 〜著しく横長のもの・日本編〜

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2025年上半期最後の月6月がやってきました。本当に早いですね。
エアコンも暖房から冷房に切り替えました。
猛暑の季節の足音も聞こえてきそうです。

そんな5月には『陽のあたる岡・第14回展』がありました。

『陽のあたる岡』は旗揚げ展から第4回展まではアートガーデンという大きいギャラリーで開催していました。その頃からずっと見て下さっている現代陶芸の作家の方が来場され「あの頃に比べるとみんな上手くなったね。しっかり自分の個性を確立しつつある。見ていて楽しい。」と感想を述べられていました。この方は他の色々な展覧会も見ていられるので、重みのある言葉でした。

実はメンバーには入れ替わりがあるので、旗揚げ展のまま現在に至っているわけではないですが、現在のメンバーは実力も拮抗していて、年齢も30代、40代が中心ですから伸びしろもあり、今後の成長が楽しみです。

私自身はと言えば、岡山大学の先輩教員で私の応援者の一人である方から、「以前の絵の方に迫力を感じた。マンネリになっていないか。」と久しぶりに厳しい評をいただき、身の引き締まる思いをしたところです。来年はこの評を覆せるような作品を発表したいと思っています。

もうひとつの5月の大きな行事は31日の神戸BBプラザ美術館での講演会ですが、これは原稿を書いている段階ではまだ終えていないので、次回の解説で触れたいと思います。

さて「マイ・コレクション」の6回目は「著しく横長のもの」を引き続き取り上げます。

今回は日本の作家編です。
前回同様、著しく横長な画面特有の構図法がテーマです。
日本の作家たちがどのような構図法を用いているかを前回の西洋偏と比較しながら味わってください。

それでは「著しく横長のもの・その2」を紹介していきましょう。

1枚目は高野山金剛峰寺にある仏像彫刻で、群像の《八大童子像》です。
作者は運慶で鎌倉時代の作品です。(写真1)

写真1 運慶 《八大童子像》

「八大童子」とは不動明王に眷属として使える八人の童子のことです。眷属というのは家来とかガードマンという意味です。この絵ハガキには八大童子がずらっと勢ぞろいしています。その様は壮観であると同時に、それぞれの童子を比較できるので個性の違いが良く分かります。絵ハガキならではのメリットです。
八人の童子にはそれぞれ名前が付いていますが、難しい名前なので全員の紹介はここでは控え、とりわけ有名な二人を紹介します。

一人は左から4番目に位置する「制多伽(せいたか)童子」です。制多伽童子は不動明王の脇侍で、きりっとした眼と赤い体が特徴です。「不動三尊像」の場合は向かって右側に位置します。

不動明王の左側に来るのは左から三番目の「矜羯羅(こんがら)童子」です。矜羯羅童子は可愛らしい髪形と穏やかな表情をしています。どちらの像も15歳くらいの人間の姿がモデルです。

私も長年中学校の教師をやり、15歳の少年少女たちと一緒に過ごしてきましたから、その年代の人たちの魅力は良く分かっています。成長途上で未完成ですが、エネルギーに溢れ、時には大人も驚くような成果を生み出します。作者の運慶もその辺りを良く分かっていて、わくわくした気持ちでこれらの像を作ったのだと思います。

2枚目は狩野山雪の襖絵《梅に遊禽図》です。(写真2)

写真2 狩野山雪 《梅花遊禽図》襖

狩野山雪は江戸時代初期の絵師です。戦国時代に狩野派は権力に仕えるための政治的戦略として家康に付く江戸狩野と秀吉に付く京狩野に分かれます。江戸狩野の代表的絵師は狩野永徳の孫にあたる狩野探幽で、永徳の一番弟子であった山楽は京狩野を任せられ、そこから山雪が頭角を現します。

私は狩野派の絵師の中では山雪が一推しです。その理由は何と言っても個性的だからです。
山雪の描いた梅の樹を見て下さい。幹がうねりながら横へ横へと伸び、細くなった枝の先に花を咲かせています。おそらくこの梅の樹は老木でしょうが、その尽きることのない生命力は見る者を鼓舞してくれるようです。このマニアックな樹の表現に目を付けたのが美術史家の辻惟雄氏で、1970年に『奇想の系譜』という名著で若冲、国芳らとともに大きく取り上げたのです。この本で山雪を初めて知った私は山雪の虜になりました。その後この襖絵のある京都の妙心寺天球院で特別公開があった際には家内も連れて参観し、襖絵のある部屋に長い時間留まってこの絵を堪能したものです。

ちなみに拙著『美との対話』にも「樹が語りかけてくるもの」という題で、山雪とフリードリヒを対照させたページを創っています。山雪の魅力を一言でうなら、私の絵のテーマである「美しい驚き」を山雪が見事に視覚化しているからに他なりません。江戸時代初期の伝統的な日本美術の中にも「美しい驚き」を体現した絵師がいたことに私は大変驚くとともに感動しました。

3枚目も山雪の襖絵を紹介します。《梅に遊禽図》とよく似た《老梅図》です。(写真3)

写真3 狩野山雪 《老梅図》襖

こちらは現在メトロポリタン美術館の所蔵ですから、私は里帰り展の時に実作と対面しました。
《梅に遊禽図》と異なる点は他の植物や鳥が描かれていないことです。それだけで雰囲気ががらりと変わります。

《梅に遊禽図》にはどこかのんびりとした春の雰囲気が漂っていましたが、《老梅図》では老梅のみがより大きく黒々と描かれているので、樹の圧倒的な生命力や不気味さが強調されています。
幹のうねり具合も不自然なほど誇張され、近寄りがたい雰囲気です。
狩野派の襖絵には松がよく描かれ、その立派な枝ぶりは豊かな繁栄を象徴するものとして武家の間で喜ばれました。それに対し山雪の絵は、自分の好きなものを好きなように描くんだという芸術家としての強い意志が感じられ、伝統を重んじる狩野派にあっては、やはり異端の存在なのだということを認識しないわけにはいきません。

4枚目は浮世絵を取り上げます。著しく横長の浮世絵版画と言えば大判三枚続きです。
そこで歌川国芳の《相馬の古内裏》の登場です。(写真4)

写真4 歌川国芳 《相馬の古内裏》

この絵も《奇想の系譜》で取り上げられ世に出た作品です。
当時国芳はあまり評価されておらず、入手できる資料も限られていた中での大抜擢でしたからインパクトがありました。

画面中央で平家の残党の荒井丸を源頼信の家臣の大宅光圀が刀で押さえつけています。そこへ巨大な骸骨が右側からヌーっと現れて大宅光圀を驚かす構図です。巨大な骸骨を操って荒井丸を援護しようとしているのが画面左に位置する平将門の娘、滝夜叉姫です。源氏に滅ぼされた平家の怨念がこの巨大な骸骨に乗り移って源氏の武者を威嚇するというこの設定に江戸時代の庶民は熱狂したようです。

国芳はこのような怪物画を得意としましたが、現代の目から見ると『ジョーズ』に代表されるモンスター映画を思い起こさせます。そこに見られるエンタメイント性こそが国芳の持ち味で、現代人に受ける要因でしょう。

5枚目も国芳の大判三枚続き《鬼若丸の鯉退治》です。(写真5)

写真5 歌川国芳 《鬼若丸の鯉退治》

今度のモンスターは比叡山の池に棲み、村の娘や子どもを食い殺したというおそろしく巨大な鯉です。
場面は池に激しい水流を起こして威嚇している鯉と、水面を見下ろし、刀を抜いて池に飛び込むチャンスを窺っている鬼若丸です。右端には鬼若丸を応援する村人も描かれています。

緊張感漂う瞬間を俯瞰構図のクローズアップで描き切った国芳の画力には、目を見張るほかはありません。この後鬼若丸は鯉の背中にひらりと飛び乗り、刀の一突きで退治したそうです。
鬼若丸とは武蔵坊弁慶の幼名で、比叡山延暦寺の西塔で暮らしていたことから西塔鬼若丸と称されることもあります。
鬼若丸は子どもの頃から怪力自慢で、鬼若丸の鯉退治という画題は当時人気があったようで、国芳もたくさん描いています。

6枚目は近代洋画を代表する画家・安井曽太郎の《外房風景》です。(写真6)

写真6 安井曽太郎 《外房風景》

原作のサイズは縦71㎝、横203.5㎝ですから、1対3に近い比率です。この横長の画面に安井は高台から海を見下ろして描いています。
勢いのあるきびきびとした安井のタッチが、強い陽射しの下、風が吹き抜ける外房の景観を捉え、画面に生き生きとした印象を生み出しています。

見落としてならないこの絵のポイントは、水平線が少し傾いていることです。これによって画面に動きが出ているのです。

この作は倉敷の大原美術館にあり、私の好きな一枚ですが、誰もが安井曽太郎の描き方を真似できるわけではありません。しかし「生き生き伸び伸び」という安井のスタイルは、東京美術学校(今の東京芸大)での学生指導を通して、その教え子たちによって全国に広まり、中学や高校の美術教育の現場で奨励されたため、一時期「安井アカデミズム」としてかなり定着していました。

ちなみに私の高校時代の美術の先生も安井曽太郎の教え子で、師とよく似た描き方をしていましたが、私たちにそれを強要することはしませんでした。

7枚目は現代美術家の鴻池朋子の《第4章 帰還―シリウスの曳航(えいこう)》です。(写真7)

写真7 鴻池朋子《第1章》

鴻池朋子は絵画を始め各種イヴェントやプロジェクト、出版など多彩な活動を展開しているアーティストです。

私は以前、岡山大学のゼミ生を連れて鴻池朋子氏を作家訪問したことがあります。
約1時間半のトークをお願いし、色々な質問にも答えてもらったのですが、私が絵本との関係を尋ねたところ、絵本が好きで気に入ったものを収集しているが、最近出会ったのがこの絵本ですとウィーズナーの『FLOTSAM(漂流物)』を紹介してくれました。私もウィーズナーのファンだったのでとても嬉しくなり、その絵本は東京滞在中に入手しました。
ファンタジーの世界を具体的かつ緻密に表す氏の作風はウィーズナーやオールズヴァーグに通じるものがあります。

この作品も氏の『物語』のシリーズの1枚ですが、作者による作品解説は一切なく、鑑賞者自身が物語を紡ぐことを期待されています。
実作のサイズは縦220㎝、横630㎝という超巨大なスケールです。
この作を私は大原美術館の展覧会で見ましたが、その大きさと密度に圧倒されました。
夜の荒波の上を飛翔しているのは寄り集まった狼たちが作る「体」に昆虫の羽が付いたモンスターです。触角のように見えるのは少女の足と赤い靴です。

絵の内容を説明するのは難しいので、この大胆で不思議なイメージを楽しみながら物語を想像してみてください。

最後の8枚目も鴻池朋子の《第1章》です。(写真8)

写真8 鴻池朋子《第4章》

この作も《第4章》と同サイズです。
大原美術館の展覧会では《第3章 遭難》と《第2章 巨人》も展示されていたので、『物語』シリーズの全貌を見ることができました。
その感想は一言で言えば「圧巻」であり、「至福」でした。

やはり私はファンタジー豊かな絵が好きなんですね。
見ていると絵から元気をもらえます。

この《第4章》も圧倒的な迫力でこちらに迫ってきました。最初は北欧の白夜の湖に浮かぶ巨大な水晶の塊かと思いましたが、よく見ると氷でできた透明な剣でした。無数の氷の剣が寄り集まり、そこから長い腸のような獣の尻尾がうねりながらのたうっています。生命のないものと生命のあるものの不可解な結合です。氷の剣は文明を、獣の尻尾は自然を象徴しているのでしょうか。「文明から逃れようともがいている自然」のように私には見えました。大原美術館での展示後、この作が大原美術館の所蔵作品になったのは嬉しいニュースでした。

次回は「著しく縦長なもの」を取り上げる予定です。乞うご期待!

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