
第75回『 マイ・コレクション/ 絵ハガキ その7 〜著しく縦長のもの①〜』
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猛暑の7月がやってきました。
この時期で意外に難しいのは室内の温度調整です。
私は毎週大阪芸大に通っているので、桃太郎線、新幹線、地下鉄御堂筋線、近鉄線と4種の列車を乗り継ぎますが、それぞれ冷房設備や設定が異なるので、時に寒く感じることもあり、体調の管理には気をつけています。また大学の授業でも教室ごとに設定が異なるので要注意です。昨年は6月に大教室がとても冷えていて、30分我慢してしまったために、その後体調を崩してしまいました。
さて今から思えば快適だった5月ですが、最後の31日(土)に神戸にあるBBプラザ美術館での講演会を無事終えることができました。詳しいご報告はHPの方へもアップしていますので、そちらを読んでいただければと思います。
美術館での講演は久しぶりですが、振り出しは倉敷市立美術館での4回連続講演でした。
岡大に赴任して4年目の1998年のことです。ちょうどこの年、同美術館での大掛かりな岡山初個展開催を8月に控えていた時だったので、その前に4回も講演できたことで個展の宣伝もでき、1週間の開催期間に1142人もの来場者をお迎えすることができました。これは私の個展歴の中で1週間の開催期間としては最多の動員数です。その後、夢二郷土美術館(2006年)、天神山文化プラザ(2010年)、福井市立美術館(2012年)、長崎県立美術館(2013年)、岡山シティ・ミュージアム(2014年)、茨城県近代美術館(2014年)、岡山県奈義町現代美術館(2017年)、平塚市美術館(2019年)、池田20世紀美術館(2019年)と講演会を間断なくやってきました。内容は私の絵の世界や私の実践している鑑賞教育、その美術館で開催されている展覧会に関したものなどですが、講演会の準備にはいつも時間をかけるので、自分にとって良い勉強になっているというのが本当の所です。
今回のBBプラザ美術館での講演会も「青とモノクローム」という展覧会テーマに沿って自分で研究した成果の発表に他なりません。
この講演会の後、6月11日には久しぶりに家内と一緒に美術展に出かけました。お目当てはあべのハルカス美術館の『フォロン展』です。フォロンは若い頃から好きだったベルギーのイラストレーターで、マグリットの影響を強く受けている点や文明批評のメッセージ性を持っている点でも私との共通性を感じていました。1970年の日本初個展は、まだ高校生だったので見ていませんが、1985年と1994年の展覧会は見ています。それ以来約30年ぶりの開催でしたので、とても楽しめました。グッズ売り場で多数の絵ハガキを購入したのですが、その中に素敵な「著しく横長なもの」があったので、前回のおまけとしてここで紹介させていただきます。
これは『世界人権宣言』の表紙絵の原画として描かれた水彩画です。(写真1)
右側から差し伸べられた手は虹色をしています。その手から14羽の鳥が飛び立っています。おそらく平和の象徴の鳩でしょうが、こちらも虹色に染まっています。そして手と鳩の虹色を生かしているのが背景の青です。水彩画特有の微妙なぼかしが青い空間に何とも言えない優しさを醸し出しています。フォロンの絵はメッセ―ジを声高に叫ぶのではなく、ユーモアとウィットで私たちの心に届くところが素晴らしいと思います。
ここからが「著しく縦長のもの」の紹介です。今回は日本の作家が中心です。
というのも伝統的な日本の家屋には床の間がつきもので、そこには掛け軸という縦長の絵を掛ける習慣があったからです。まずは江戸時代後期の北斎の絵を取り上げます。
最初は重要文化財に指定されている肉筆画の《二美人図》です。(写真2)
版画の印象が強い北斎にはまだ国宝に指定された作品はありませんが、この絵などは将来国宝に指定されるかもしれません。浮世絵の美人画と言えば歌麿が第一人者ですが、北斎にもなかなか魅力的な美人画があります。北斎美人は顔が細面で表情が繊細、背がすらっとしています。この作では二美人が立ちポーズと座りポーズで組み合わさっているので、なんとも贅沢です。立っている美人の体を反らし、首を前に傾けるポーズは北斎が特に好んで使うポーズです。どちらの美人も魅力的ですが、とりわけ座っている美人が手を添えて微笑む姿には愛らしさが感じられます。画面上部にある余白も重要で、画面に余韻をもたらす効果があります。余白というのは「描かない表現法」ですから、西洋の画家たちにはなかなか理解できないものかもしれません。
そこでこの絵と比較してみたいのがクリムトの肖像画《女ともだちⅠ》です。(写真3)
ここまで縦長の肖像画は西洋では珍しいのですが、クリムトには何点かあります。おそらく浮世絵版画の柱絵などからの影響でしょう。北斎の《二美人図》と対照的なのは、ギリギリまで対象をトリミングし、余白を徹底的に省いている点です。背景の余白にも抽象的な模様を埋め込んでいるほどです。結果として画面のほとんどを占めるのが右側の女性の襟を立てた黒いコートで、二人の顔は画面の上部に押し込められています。この息苦しいような画面構成が逆に新しさと強い印象を生むのですから絵の構図というのは本当に面白いものです。同じ著しく縦長の美人画でありながら北斎とクリムトは全く対照的な造形の妙を私たちに見せてくれるのです。
3枚目は北斎最晩年の肉筆画《李白観瀑図》です。(写真4)
李白は8世紀、中国の唐の時代に活躍した放浪の詩人です。物事を誇張して表現する「白髪三千丈」という有名な言葉を残した人でもあります。場面は放浪の旅の途中で出会った大瀑布を前にして佇む李白の姿です。よく見るとひとりの童子が李白に抱き着いて、滝つぼへ落ちないように李白を前から支えているようにも見えます。巨大瀑布が画面のほとんどを占め、人間の存在は極限まで矮小化されています。大自然を前にした李白の畏怖と感動の感情を北斎が代弁しているような一枚です。滝つぼに落下する大量の水の勢いを縦の線と明暗のぼかしで表し、右上部に光を当てることで、水に生命感を与えています。著しく縦長の画面をここまで生かした大胆な構図は、北斎だからこそ成しえたものではないでしょうか。
4枚目はこれも北斎最晩年の肉筆画《赤壁の曹操図》です。(写真5)
曹操は中国の2~3世紀にかけて活躍した後漢時代末期の軍人・政治家・詩人で、三国時代の魏の国の始祖と言われています。「赤壁」とは赤壁の戦いのことで、中国後漢末期の208年に長江の赤壁(現在の湖北省咸寧市赤壁市)で、曹操軍と孫権・劉備連合軍の間で争われました。『三国志』に記されているこの戦いは、兵力において圧倒していた曹操軍が慣れない水上の戦いで孫権・劉備の連合軍に敗れています。ジョン・ウー監督による映画『レッドクリフ』はこの戦いを史実に基づきながらも創作も加えて迫力ある映像に仕上げていますので必見です。北斎が描いたのは赤壁での戦いの前夜、船上での宴に酔った曹操が左手に槊(さく)を持って悠々と詩を創る場面です。船の一部を斜め上から大きく捉え、そこに意気揚々と立つ曹操の姿を描いています。槍のような長い槊が著しく縦長の画面を上下に貫いています。槊の先端は天空の満月をも貫いています。
5枚目は近代日本画の名品で重要文化財にも指定されている菱田春草の《黒き猫》です。(写真6)
この絵は春草の代表作としてよく紹介されますが、制作の経緯は意外なもので、文展に出品する予定でいた屏風絵が色々な事情でまとまらず、急遽近所の焼き芋屋から黒猫を借りて来て、わずか5日間で描き上げたというエピソードが残っています。絵というものは難しいもので、必ずしもじっくり時間をかけたから良いものができるというわけではないのです。即興でも名作が生まれる時は生まれるのです。否、即興だからこそ余計なものが入らずに、すっきりまとまったのかもしれません。そんな「創造あるある」をこの絵は教えてくれます。描かれているのは木の幹に座る一匹の黒猫と黄葉した柏の葉のみ。実にシンプルな画面構成です。それだけに黒猫の緊張しているポーズや鋭い眼光、柔らかそうな毛並みが伝わってきます。私の想像では黒猫の手前に誰か見知らぬ人が立っているという設定ではないでしょうか。そう考えると今にも逃げ出しそうな黒猫の気配も理解できます。柏の葉のゆったり感と黒猫の緊張感が好対照です。
6枚目は《黒き猫》と合わせて鑑賞すると楽しい1枚で、同じ作者による《柿に猫》です。(写真7)
制作年は《黒き猫》と同じ1910年ですから、モデルは同じで、ほぼ同時期に描かれたものでしょう。《黒き猫》がわずか5日間で完成したことでほっとした春草が、今度はゆったりした気持ちで黒猫を描いてみたくなったのかもしれません。緊張感が伝わる《黒き猫》に対して、《柿に猫》からはユーモアや優しさが伝わってきます。主役の猫も子猫に変わっていて可愛らしい印象です。場面は木の幹の上で休んでいた子猫が移動し始めた瞬間と思われます。《黒き猫》と並べてみると、まるでアニメーションのように猫が動き出した感じで面白いですね。春草のねらいもここにあったのではないでしょうか。今日、重要文化財に指定されている《黒き猫》の方は、権威でがんじがらめにされて自由を失っている観がありますが、《柿に猫》の方は気軽な身分で自由を謳歌している感じがします。作者がリラックスして描いた絵だけに、私たちも「権威から解き放たれた絵」としてこの絵を気楽に楽しめばよいと思います。
7枚目はこれも重要文財に指定されている速水御舟の《炎舞》です。(写真8)
御舟は「近代日本画の鬼才」と言われるだけあって、モチーフも斬新ですが、それを生かす切れ味鋭い構図が見どころです。《炎舞》は著しく縦長の画面に勢いよく燃え上がる炎とそれに群がる蛾を描いています。火煙に円舞のように舞いながら群がる蛾は写実的に描かれているのに対し、炎は装飾的に処理されています。御舟は実際に焚火をして炎を観察したとも伝えられていますが、この意匠は平安時代の絵巻物《地獄草紙》に出てくる業火を思い出させます。構図は極めてシンプルで、燃え上がる炎に沿って絵を見る視線も上昇し、蛾の群れへと導かれます。若い頃、写実を突き詰めた御舟だからこそ到達できた超現実の世界がここにあります。描かれたのは1925年、その6年後に満州事変が起き、日本は悲惨な15年戦争へと突入していきます。業火に自ら飛び込んでいく蛾の群れを数年先の日本人の姿に重ねた御舟の予言的作品と見るのは穿ちすぎでしょうか。
次回も「著しく縦長なもの」の続編です。お楽しみに!