第68回「年賀状デザインのギャラリー 〜半世紀の軌跡と思い出〜 その12・巳年」
[戻るボタン]で元のページに戻れます。
いよいよ今年も12月がやってきました。
秋の気配をじっくり味わう間もなくもう冬支度です。
私はと言えば年賀状デザインも早々と完了し、
個展の方もお陰様で盛況裡に終えることができました。
やはりやるべきことを先に済ますのが大事ですね。
さて今回の干支の動物は私が大の苦手とする蛇です。
おそらく外見や動きが苦手なんですね。
一方で恐竜は好きなので、足があるかないかも大きなポイントです。
子どもの頃、実家の畑の柿の木に登った時に白蛇に出会った経験があります。
その白蛇はとても神秘的に見え、今でも記憶に残っています。
ちなみに家内も蛇は苦手ですが、巳年生まれです(笑)。
でも世の中には蛇好きの人もいて、ペットとして飼っていたりもしますから、
食べ物と一緒で好みは本当に人それぞれです。
そんなわけで蛇のキャラクターや物語を私はよく知りません。
今思いつくのは「八岐大蛇(やまたのおろち)」とか「メデューサ」とかくらいですね。
こんな具合ですから巳年の年賀状はあまり出来が良くないのではと思われがちですが、
これが意外や意外、結構面白い作品ができているのです。
苦手な蛇をどのように料理したのか、ご期待ください。
最初の巳年は1977年です。
絵の方でこの年初めに大きなことがありました。
神奈川県美術展での大賞受賞です。
大学4年の初出品で特選を受賞、教員1年目の2度目の出品で準大賞を受賞していましたので、
まさに三段跳びでの頂点制覇でした。
こんなことが自分に起きるとは思ってもいなかったので運命的なものを感じ、
これは本気で絵を一生の仕事にしようという気にもなりました。
新聞にも大きく取り上げられたので取材も相次ぎ、
出来立ての自宅のギャラリーや教育現場にもTVカメラが入ったり、
家内と二人で神奈川TVの15のインタビュー番組に出演したりもしました。
教員2年目で大きな成果を出したので、
周囲も私の絵画制作を応援してくれるようになり、
勤務先の大住中学校では美術部の創設が認められました。
なんと平塚市ではこれが自主的に創設された初めての文化部であったことが後に分かりましたが、
それだけ中学校の部活動と言えば、
各行事に欠かせない吹奏楽部を除けば運動部偏重だったことが分かります。
大住中ではその後文化部がいくつか誕生したので、
美術部創設が大きなきっかけになったことは嬉しい限りです。
また県展での連続受賞はそこで得た賞金額がとても大きかったので、
私は夏休みに2年連続で3週間と4週間のヨーロッパ研修旅行に出かけることができました。
当時のレートは1ドル360円というとんでもない時代ですから、
海外旅行に要する費用は膨大でした。
それが受賞賞金でまかなえたからこそ実現した研修旅行でしたので、
できるだけたくさんの美術館を回り、見たい名画は逃さないようにしました。
結果ヴァン・エイク、ミケランジェロ、ラファエロ、ブリューゲル、
グレコ、カラヴァッジョ、ルーベンス、ベラスケス、レンブラント、
フェルメール、ダヴィッド、アングル、ミレー、モネ、ドガなどの
古典や近代の巨匠たちから大きな刺激を得ることができました。
またたくさんの大判複製画を買い込んだので、
帰ってからの鑑賞教育にも役立てることができました。
さらにこの年の6月には
初個展を関内のツーリスト・ギャラリーの企画で開催しました。
このようにこの年は私の画業人生を決定づける重要なことに恵まれた年であったことがよく分かります。
さて年賀状ですが、前回同様私のデザインはありません。
この年に来た年賀状の1枚目は平塚市の先輩美術科教員のM先生のものです。(写真1)
M先生との縁は私が大学3,4年次に先生の開いていた絵画教室をお手伝いしていたことです。
平塚市での教員採用が決まった時、「少し不安です。」と打ち明けたところ、
「何か自信のあるものがあるか。」と尋ねられたので「絵だけは自信がります。」と答えたら、
「それなら大丈夫。心配ない。」と言ってくれ、それでとても安心したという思い出があります。
年賀状は鎌首を持ち上げたコブラを正面から描いています。
背景の装飾的な模様が何を表しているのかは不明ですが、
造形的には不安定なコブラを支えるとともに、斬新な雰囲気を作っています。
2枚目は大住中在校生のF君のものです。(写真2)
生徒会長も務めたF君はとにかく真面目で、信頼のおける生徒でした。
年賀状はこれもコブラを正面から捉えていますが、ズームアップして迫力を出しています。
シンメトリーにまとめた構図がF君らしいですね。
3枚目は横浜国大の同期生Y君のものです。(写真3)
同期とはいえY君は二浪していたので、兄貴分という感じでした。
現在は造形作家としての活動と画廊経営を並行しています。
ちなみに私の東京での初個展もY君のプロデュースで、六本木のY君の画廊で行ったものです。
年賀状は折り紙の蛇を画面上部に描いています。
蛇の背中の色と腹の色を同系色の強弱で対照させることで、蛇の立体感と動きを巧みに表現しています。
4枚目は前回も登場した横浜国大の同期生A君のものです。(写真4)
デザインはクリムトの名作《接吻》のパロディで、
抱き合う男女を覆う布が「松竹梅」のモチーフに縁起物の白蛇を加えた模様になっています。
男性はA君ですが、女性の方は果たして誰なんでしょう?
気になるところです。
次は1989年です。
この年も「夜明け前」の時期ですから、絵の方では目立った成果はありませんでした。
強いて言えば『第1回ジャパン大賞展』で入選を果たしたことくらいです。
横浜国大附属横浜中勤務の忙しい中で応募したので、
全国公募のコンクールでとりあえず入選できたことは、安心材料でした。
もうひとつ『神奈川県美術展記念特別展』に招待され出品しましたが、
これは「過去の栄光」がもたらした産物で、
私なりにそろそろ新しい成果を出さなければという焦りにも似た気持ちになったものです。
この年の私の年賀状はお気に入りのデザインのひとつです。(写真5)
旧約聖書の創世記で、
最初の人類アダムとイブが蛇にそそのかされて禁断の実を食べて知恵が付いたため、
神様の逆鱗に触れエデンの園を追放されたという『失楽園』の話が下敷きです。
現代のアダムとイブに見立てた私と家内の最接近を蛇が邪魔している図です。
画面下半分では蛇は二人の間の隙間として地の役目をしていますが、
画面上半分では蛇という図に変化しています。
つまり一枚の絵の中で地と図の反転が起きているわけです。
顔の表情と手の仕草から二人の会話を想像してみて下さい。
この年に来た年賀状の1枚目は大住中卒業生のO君のものです。(写真6)
O君とは1年生の1年間だけ学級担任と授業を担当しただけですが、
卒業後も慕ってくれて、
池田20世紀美術館の私の個展で偶然再会するなど縁のある教え子の一人です。
O君は吹奏楽部員でしたが、美術の才にも恵まれていました。
年賀状でもおもちゃの蛇を精密に描いていて、
後に建築の方に進路の舵を切るだけあって、優れたデッサン力を感じさせます。
文字もしっかりデザインされているし、背景処理も見事です。
2枚目は大住中美術科教員のY先生のものです。(写真7)
五線譜に大きなト音記号が書かれていますが、よく見るとこれが蛇なのです。
蛇もこんな風に使われれば親しみやすくなるという見本のようなデザインです。
Y先生の賀状はこれまでに何回も登場しましたが、
最初期のこの賀状には初々しさも感じられて新鮮です。
3枚目は横浜国大附属中在校生のN君のものです。(写真8)
N君は少し甘えん坊の所がありましたが、憎めない性格の生徒でした。
年賀状のアイディアは蛇の迷路です。
あまり例のないユニークな発想ですが、
入口が蛇の頭からなので蛇に飲み込まれるようで、ちょっと気が引けますね。
ただ一見複雑な迷路に見えますが、蛇の体に沿っていけばすんなり出られます。
4枚目は横浜国大附属中卒業生のIさんのものです。(写真9)
Iさんは努力家で美術が得意な生徒でした。
この賀状も貼り絵と彩色を併用したカラフルな豪華版の1枚です。
歌麿の美人画を羽子板の形の中に収めて正月の雰囲気を演出しています。
この1枚を仕上げるのにかかった時間を考えると、頭が下がる思いです。
2001年の巳年は絵の方では
全国公募の『富嶽ビエンナーレ展』で2度目の入選を果たしました。
また一陽展でも久しぶりに受賞しました。
安田火災美術財団奨励賞です。
受賞作の《神殿》は自分なりに場の空気感が描けたと思えた自信作だったので、納得がいきました。
明らかに絵の調子が上がってきている気配があり、
それが翌年の『小磯良平大賞展』での優秀賞受賞につながったように思います。
その上昇機運が年賀状デザインにも反映したのか、
巳年のデザインとしてだけでなく、
私の年賀状デザイン全体の中でもとりわけ高い評価を得たのがこの年の年賀状です。(写真10)
この時のテーマは「苦手な蛇を描かずに巳年を表現すること」でした。
その結果生まれたのが蛇柄のグッズを身にまとった私たちというアイディアです。
私は蛇柄のネクタイにベルト、家内は蛇柄のスカーフにバッグ、
そして「もちろんクツだって!」という決め台詞で描かれていない足元も想像させました。
二人の顔を描かずに体だけで特徴を示せたのも成功の要因でしょう。
この年に来た年賀状の1枚目は大住中卒業生のYさんのものです。(写真11)
Yさんの年賀状はこのギャラリーではすっかりお馴染みですが、
今回のデザインもYさんの人柄がよく出た優しい一枚です。
白蛇の子どもでしょうか、こんなに愛らしい蛇の姿は見たことがありません。
単純なフォルムと木版画のかすれた摺りの素朴さ、
温かみのある色彩が相まって生み出された稀有な造形です。
2枚目は岡山大学大学院在学生のKさんのものです。(写真12)
Kさんも毎回のように登場していますが、これは最初期のデザインです。
さかのぼって確認していただければ、
Kさんの表現の幅がいかに広いかが分かっていただけると思います。
今回の蛇は生き生きとしていて、体も顔も現実感がすごいですね。
体には重さが感じられ、眼は本物のようですね。
3枚目はこれも常連の岡山大学の先輩教員N先生のものです。(写真13)
今回は「蛇ににらまれた蛙」がモチーフです。
お得意のシルクスクリーンの技法で装飾的なデザインに仕上げていますが、
ユーモラスな雰囲気も漂っています。
蛇の胴体には「2001.1.1」の数字が模様のように隠されています。
いつもながら一色摺りですが、何とも言えないブラウングレーの色合いが格調高いですね。
4枚目は横浜国大の後輩のY先生のものです。(写真14)
Y先生は私のことを「画伯」と呼んで持ち上げるなどとても面白い人で、
家内の親友の一人でもあります。
年賀状には彼女の大胆な一面が出ています。
2匹の蛇のシルエットをシンメトリーに組み合わせて、装飾的で力強い構成を生み出しています。
中央の閉じた余白に上手く文字を収めています。
5枚目は横浜国大附属中卒業生のMさんのものです。(写真15)
Mさんは温厚でおっとりした性格の生徒でしたが、
周囲から信頼され、美術部の部長もやっていました。
Mさんのお母さんも私の絵のファンになってくれ、私の個展にも二人でよく来てくれます。
年賀状は雪だるまがモチーフで、
太線でまとめた記号的な構成がとてもおしゃれで、快活な印象を生んでいます。
雪だるまのマフラーを蛇にしたアイディアも冴えていますね。
2013年の巳年は
一陽会の運営委員に就任した年です。
運営委員の中では最年少でしたので、動ける運営委員を目指しました。
早くから運営委員になっていた一つ上の館野先生とも親しくなったのはこれ以降です。
個展はこの年岡山で2度行っています。
アートガーデンでの3回目となる個展と
川崎医科大学附属病院ホリティック・ギャラリーでの個展です。
前者はこの時期岡山大学の附属幼稚園の園長をしていた関係で、
幼稚園の保護者や園児、職員などが大勢来てくれて、大盛況でした。
後者は予定外で入ったため新作は用意できなかったので、
『泉谷淑夫が描く岡山の風景展』と題して、
岡山移住以来描きためてきた風景画を並べることにしました。
これが意外に好評で、「羊」以外の世界を知ってもらう貴重な機会になりました。
美術教育の方では
長崎県美術館で中・高の美術科教員を対象に
『鑑賞教育の必要性と比較鑑賞の有効性』と題した講演をしました。
翌年、茨城県近代美術館でも同様の講演をしましたが、
私が長年研究してきた「比較鑑賞」について現場の先生方に詳しく伝えることができたのは幸せでした。
この年の私の年賀状は珍しく私たちの顔のドアップです。(写真16)
顔の表現はマンガ的ですが、それなりにリアルです。
私の怖れているような顔と家内の驚いている顔が組み合わさっていますが、
それぞれの視線の先に答えがあります。
二人の髪の毛の一部が蛇になっているのです。
それが「メドゥーサの呪い」又は「クセ毛の悩み」というキャッチコピーにつながります。
ちなみに「メドゥーサ」とは髪の毛が蛇になっている怪物です。
この年に来た年賀状の1枚目は大住中学校卒業生のEさんのものです。(写真17)
シンプルな線描表現でお馴染みのEさんですが、
今回も可愛い白蛇をすっきりとまとめています。
グレーの陰が立体感をさりげなく出しています。
頭を大きくしたところが「可愛い」印象を生んでいると思います。
2枚目は岡山県の画家Tさんのものです。(写真18)
Tさんは若手の有望作家の一人で、
彼女の独特な個性に惹かれて、私も作品を複数所有しています。
年賀状は白蛇をモチーフにしていますが、
生命感がリアルに伝わってきて、年賀状にも妖しげな彼女の個性がよく出ています。
周囲のぼかしも効いていますね。
3枚目は岡山大学卒業生のE君のものです。(写真19)
E君は大学院修了後、彫刻の道へ進み、
岡山県の I 氏賞展で奨励賞を受賞するなど期待されている人材です。
年賀状は絵文字のアイディアで、2匹の蛇を使って平仮名の「み」を表しています。
2匹の色は補色の組み合わせです。
蛇の表情がユーモラスでいいですね。
4枚目は常連の岡山県美術科教員のT君のものです。(写真20)
T君は今回もお得意の日本神話で来ました。
スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治です。
剣をかざしてオロチに立ち向かうスサノオは猫です。
背景にはいつもながらの縁起のいい初夢の三つのモチーフが描かれています。
5枚目は毎回登場の岡山県美術科教員のH先生のものです。(写真21)
中央に蛇の頭部がリアルに描かれています。
特に眼が生きています。
蛇が苦手な私は、このハガキを手にするのもためらってしまうほどです。
背景は漆黒の闇で、中空に人工衛星が浮かんでいます。
H先生のシュールな感覚は素晴らしいですね。
さて1年間続いた『年賀状デザイン半世紀の軌跡』も今回が最後です。
皆さん長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。
最後にプレゼントと言っては何ですが、
特別に1カ月早く2025年巳年の私の年賀状デザインをお見せします。(写真22)
毎週新幹線に乗っているので思いついたアイディアです。
ホームに入ってくる新幹線の姿を見るたびに蛇に似ているなと思っていました。
いかがでしょうか?
では、よいお年を!